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[1/25] 「なぜ、こちら側のどこからでも切れる必要があるのか?」「湯豆腐」

場所は決まっていてもいいから、一度だけ簡単に切れれば十分なんだけどな。

深夜

今年は暖冬とはいうが、夜はそれでも寒い。夜食をたべようと思った。軽めの惣菜やサラダ、冷凍食品などを適当な個数買ってあるはずだ。冷蔵庫を開ける。さらに冷風。豚しゃぶサラダ、寒い。焼鳥炭火焼、悪くはない。大豆だしで食べるおぼろ湯とうふ。これを買ったときの自分を褒めるべきだろう。

豆乳をなみなみと湛えた豆腐を専用トレーに移す。蓋のフィルムはまず 2 割程度の場所で切れるようになっている。先に豆乳をゆっくり移せる配慮だ。豆腐はその後、スプーンで適宜崩しながら入れる。だいぶ前から家にあるこのスプーン、何製だ? 金属製ではないが木製でもないので、樹脂製とかだろう。丸みが強くて口当たりが優しく、湯豆腐にはちょうどいい。

あとは鰹と昆布の出汁を入れてレンジで温めるだけだ。出汁は小袋に入っている。こちら側のどこからでも切れます。どこからでも。とはいえ、中に入っているのは液体。端に近いところで開けたい。真ん中から開けようとはあまり思わない。どこからでも切れることは、嬉しいか? わからない。

切れない。こちら側の、どこからでも。どうしても切れない。端に近い部分は変に潰れてしまって絶望的だ。そうか。こういうときに真ん中から開けたくなるのか。最初は一見不要に見えて、いちど躓いてから初めてその意味に気づくことができるわけか。

真ん中も切れなかった。仕方がない。ハサミを使おう。

小袋をテーブルに置き、ハサミを取りに行く。一般に、何回開封に失敗したタイミングでハサミを取りに行くのが最適か? 考え終わる前にハサミを持ってきた。

出汁がテーブルに漏れている。どこからでも切れなかったはずなのに。

試行錯誤の過程でどこかに小さな穴でも開いたか。いや、その原因は今はいい。慌てて小袋を拾い上げる。トレーの上で、小袋を握りつぶすように出汁を絞り出す。

出汁は少し薄くなったかもしれないが、湯豆腐はとても旨い。また買おう。そして次は、最初からハサミを使おう。

"どこからでも切れる" という発想

なぜ「どこからでも切れる」必要があるんだろうか? 袋はふつう、一度切って開ければ終わりで、もう一度切ることはない。一度であっても切れる場所に任意性があることが重要なのかもしれない。しかし、出汁など液体が入っているなら大抵は端のほうで開けたい。

切るのに多少失敗しても、どこからでも切れるから何度かは再挑戦できるという強みはあるかもしれない。それでも、どちらかといえば一発で簡単に開けられる方に力を入れてほしいものだが。なぜ「どこからでも切れる」方法を開発しようということになったのか。

調べてみると、誕生秘話のようなエピソードはいくつか出てくる。

「出張帰りの新幹線で、缶ビールと燻製イカを買ったとき、老眼のせいでどうしてもパックが切れずに、結局、ツマミなしで缶ビールを飲むことになったそうです。それで、本社に帰ってから技術陣に『指先で簡単にどこからでも破れる袋はつくれないか』と持ちかけたのがきっかけと聞いています」(松下さん)

どこからでも切れる「マジックカット」誕生秘話

パックが切れず、ツマミが食べられなかった。だから、「指先で簡単にどこからでも破れる袋」が作れないか?

やはり、発想に飛躍があるような気がする。袋が開けられなかったから「もっと簡単に破れる袋」が欲しくなるのはわかるが、「どこからでも」破り始めることが出来てほしいと思うものなのか。

それはともかく

ソースやドレッシング等の包装は結局、パキッテが優秀だなあ。あまり見ないけど。

「ディスペンパック」という名前だったのが 2019 年にパキッテになったらしい。

あと、大豆だしで食べるおぼろ湯とうふは超うまい。 

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