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【願望実現】引き寄せの法則を邪魔する「執着」とは何者かを解説(完全版)

こんにちは。先日「チャクラ」に関する記事を執筆中に、ふと「そういえば最近第1チャクラが詰まっているかもしれない・・」という閃きが舞い降りてきたため、早速近所の公園を裸足で散歩していたところ、小学生が私を指さして母親に何かを言っている姿が目に入りました。おそらく「あ、あのおじさん第1チャクラ開こうとしてる!」とママに伝えていたのでしょう。最近の小学生は実に博識ですね。

改めましてJegと申します。本日もお越しいただき本当にありがとうございます。愛してます

さて、本日のテーマは「執着を手放す」ということですが、私レベルの変態スピリチュアルマニア(完全に頭をやられてる人)になるともはや「手放す」というフレーズを聞いただけで「執着」という言葉が瞬時に思い浮かんでくるわけで、とはいえこの「執着を手放す」というのも、それはまあ確かにその通りなのですが、同時に「執着を手放すってなんやねん具体的に言ってくれよ」という気持ちも心のどこかに湧き上がってきたりするものです。

実際「執着を手放せば叶う」というのは疑いようもない事実ですが、その一方で執着を無くして完全に願望を忘れた状態で過ごしていたとして、10年後とかにふと思い出して「あれ?結局叶ってないじゃん!」という事態に陥ることへの恐怖も同時に湧き上がってくるものです。ですから一言に「執着を手放す」と言ってもそれって非常に難易度が高いんですよね。

そんなわけで今回は「執着を手放す」ってそもそもどういうことなの?ということをできるだけ再現性の高い方法で解説して参りますので、是非最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

それではいってみましょう!

冒頭のエピソードを画像にしようと思ってChatGPTに指示したらなんか背後に原始人みたいな人が生成されて草

1.「うまくいかないケース」の法則

「引き寄せの法則」というものを知った時の高揚感は今でも覚えています。今までは「自分で努力してコツコツ頑張って、その上でうまくいくかどうかは運次第だからやっぱり願望実現って難しいよな」と考えていたのが、「理想の未来像をインプットしてやれば自動的にルートが設定されるんだ!ってことは願いは必ず叶うんだ!」といった具合に、まるで世界の扉が開かれるような感覚を味わったんですね。

そして紆余曲折はあったものの、本当にすべての願望が実現したものですから、少なくとも私自身はこの法則、もしくは願望実現法の存在を信じて疑わなくなりましたし、現在も自分の人生を思うがままコントロールできている事実に心から感謝しているわけでございます。

とはいえ、そこに辿り着くまでには本当に数えきれないほどの失敗パターンを経験してきたこともまた事実です。自己紹介で「1000回以上セルフ人体実験をしてきた」と書いておりますがこれは正にその通り(というか細かいものも含めれば1000回どころか一万回以上やってるんじゃないかってレベル)で、おそらく他人の目からは完全に異常者変わった人に見えているであろうことは自覚しているのですが、その中で実感したのは「これをやったらうまくいった」よりも「この場合にはうまくいかない」の方がはるかに価値があるということです。

何故なら「うまくいかない」ケースの方が圧倒的に多く、また多ければ多いほど共通の法則性を見て取れるからです。そして数多の人体実験の中で導き出した「この場合はうまくいかない」に共通する法則こそが、本日お伝えしたい内容なのです。

ではその法則とは何か?

それは「執着のベクトルが願望に向いているとうまくいかない」という法則です。

ですがこれだけだと「いやいや、執着のベクトルが願望に向いていると叶わないって、それって結局"執着があると叶わない"って言ってるのと一緒で何の解決策にもなってないじゃん!」という話になってしまいます。

ですが私が重要視するのはこの「ベクトルの向き」を本当に理解できているかどうか、という部分です。

次にそれを詳しく見ていきましょう。

2.「これをやったら面白そう!」が「これをやらなきゃヤバい」に変わる瞬間

斎藤一人さんの「ネガティブな発言を封印すれば必ず奇跡が起きる」という言葉を聞いたのが私がスピリチュアルに傾倒する最初のきっかけだったことを覚えているのですが、今ではその言葉の意味がはっきりとわかります。

もちろん偉大なる先人たちに比べればその理解度など大したことないのでしょうが、少なくともこの「ネガティブ封印」が奇跡を起こすという事実には絶対的な確信を持つことができているんですね。

ただ、その確信を得るまでには本当にいろんなことがありました。そしてその中でハッキリと自覚したのが、「ネガティブ封印」に限らずどんな方法論を実践する場合にも「ワクワク感」が「義務感」に変わる瞬間が必ず訪れるということです。

これは感覚的におわかりいただけるのではないかと思いますが、新しい方法論に出会うと、例えば今回は「夢ノートを三ヵ月間、毎日書き続ければ必ず願いが叶う」という方法に出会ったと仮定して、最初の頃に自分を動かしているのは「これを実践すれば願いが叶うんだ!」という紛れもない「ワクワク感」です。そしてその「ワクワク感」というのは願望を実現した後の自分も継続的に感じるものですから、ベルトコンベア理論から言ってもワクワク感自体が願望実現に良い影響を与えるのは間違いないでしょう。

ですが一週間が経過し、二週間が経過し、当初のモチベーションが薄れていくに連れ、「あ、なんか今日めんどくさいな」という日がほぼ確実に訪れるかと思います。そしてその際に発生するのが「そこでやめる」か「継続するか」というルートの分岐です。

「そこでやめる」というルートを進めばもちろんそこで終わってしまいますし、では「無理してでも継続する」というルートに進んだらどうでしょう。もちろん「三ヵ月毎日継続する」という目標には近付けるかと思いますが、考えていただきたいのはその際の「思考」です。

「願望実現」に対して「義務感」で応えてはいませんでしょうか。そしてその際の感情を言葉で表すなら「願望実現の為にはこれをやらなきゃダメなんだ」という切迫感なのではないでしょうか。

これこそが願望実現への執着そのものなのです。しかもそれは「願望実現したい」という軽い執着ではなく、義務感を伴った非常に強い執着です。つまり「三ヵ月夢ノートを継続しなければならない」という「義務感」が「願望実現」への執着を強化してしまっているのです。

そしてその際に未来へ投げられるものは当然「願望実現に向けて苦労している」という事実なわけですから、「願望実現したくて大変な思いをしている自分」=「まだ叶っていない自分」の方がベルトコンベアに乗って返ってきてしまうわけです。これは言い換えれば執着が強ければ強いほど叶っていない現実が返ってきやすい、ということですし、その理由は「願望を実現した後の自分は願望実現に対して執着したり苦労したりなどしていないから」ということになります。だからこそ「願望実現の為にはこれをやらなきゃいけない」という義務感を未来に投げると逆効果になってしまうのです。

これは本当に厄介です。そしてこれこそが有益な願望実現法が世界に溢れているにも関わらず多くの方が願望を実現できない大きな要因なのです。

さて困りました。夢ノートを三ヵ月間ずっと楽しみながら続けられるならまだしも、途中でめんどくさいという気持ちが少しでも芽生えようものなら「そこでやめる」にしても「継続する」にしてもどっちにしても叶わないという恐るべきデスルートが敷かれてしまうのです。

ではどうするか。そこで私が提案するのが「執着のベクトルをずらす」という方法論です。

何かに夢中になっているときは「そのこと自体」が楽しいのであって、その先にある「目的」つまり「願望実現」には執着していないと言うことができます。この場合未来に投げられるのは単純に「楽しさ」や「ワクワク感」であり、夢ノートを楽しんで夢中になって書ければ「楽しさ」「ワクワク感」「願望」を何の執着もなく投げることができるわけですから極めて叶いやすいと言えます。問題は三ヶ月もずっと夢中になり続けるのは困難ということなのですが、次以降の章ではそのあたりを詳しく解説して参りたいと思います。

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