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「オチ」はどこへ溶けた

差別は決して許されない。偏見は正しい価値観ではない。そんな事は誰でも知っている。それでも自分の中にそれらが存在している事を自覚させられる出来事は必ず起こる。
城山の英語検定の模試の成績はC判定だった。公園のベンチで遊歩道の向こう側の散りはじめた桜を苦い顔で見つめていた。彼の横には食べ終えたコンビに弁当が無造作に置かれていた。味は覚えていない。
その時にドレッド・ヘアーのジャマイカ系黒人らしき人物が彼の方にゆっくりと近づいてきた。そして、地面を指差して、こう言った。
「あなたの推しはパエリアちゃんですか?私はカポラポちゃんです。早く助けてあげて下さい。そのままでは風邪をひいてしまいます。」
彼の言葉の意味を確認するために、城山は足元を見た。そこには桜の花びらの中でマスコット・フィギアのパエリアが地面にうつ伏せになっていた。「すいません。気が付きませんでした。ごめんねパエリアちゃん。そんなつもりじゃなかったんだ。」
城山は慌ててそれを桜の花びら助け出した。弁当でカムフラージュして手にした推しのグッズ。大切に自宅まで招待してあげようとした彼女、落とした事に気づかないほど彼は茫然としていた。
「春は季節の変わり目です。ホルモンバランスの乱れから不調を感じだときはチョーサー・ブルームを読んて下さい。版権が切れた出版物ですからネットで読めますよ。それではこれにて失礼します。」とジャマイカ系らしき彼は日本人を遥かに上回る滑舌の良い日本語で教えてくれた。その場を立ち去る彼の背中は広くて大きかった。そして、赤の他人に自分の隠しておきたい本性を知られたことに恥ずかしさを感じる器の小さな事にショックを受けた。
彼は気分を変えたかった。城山は鞄からスマホを取り出した。ジャマイカ系の彼が教えてくれたチョーサー・ブルームを直ぐに検索してみた。


「さて、ここで読者諸氏も気づいただろう。絶望の淵に落とされた彼は癒やしを求めていた。だから、故郷の味を求めてパエリアを注文した。しかし、もう少しで手が届きそうなそれを地面に落としてしまったのだ。真心を込めて手料理を振る舞った彼女の背中は厨房へと静かに引き揚げて行った。地平線の彼方。遠ざかる舟に渡る手段は遠ざかっていった。顔面蒼白の彼にはこの物語の「オチ」まで物語を運ぶ気力は残っていなかった。」

〜チョーサーブルーム著「懐かしい味」のエピローグより〜

城山はそれを読み終えたあとに視線を上げて向こう側の桜の木を見た。流暢な日本語を操るジャマイカ系らしき黒人。彼が読むには不釣り合いな軽薄な物語。多くの疑問を残しながら、彼の目の前の桜の花は散っていた。
「その物語を読んだ後に周りの風景がホッコリしたことは確かだったよ。」と彼は友人に語るようになった。そして、未だにその「オチ」を探り当てた者は存在しない。春なのに、春だから、春はあけぼの揚々と明らかになるでしょう。
#小説



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