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滝へと続く小径〜Vol.2〜前書きつき〜

山を超えて、大雨で橋桁が流された川では水面に顔を出す飛び石で道を繋いできた。限界が脳裏に浮かび始めた頃、森の間からその滝は見えていた。
「水は高きから、低きに流れる。」
滝から通じる小川には散りはじめた桜の花びらが流されていた。それを飽きずに眺める野良猫がいる。その光景に人生の儚さを投影するのは人間の可笑しくも、面白い部分だろう。野良猫は刹那に流して、次の目標に狙いを切り替える。
その小川の淵に植えられた桜の下では幕末の新選組と平安貴族に扮したコスプレーがオードブルと白ワインで乾杯をしていた。歴史と伝統にモダンをミックスする。これも春には描かせない風景である。彼らの眼には満開の桜の背景に滝がある。
その滝に近づくと轟音と木漏れ日に反射した水飛沫が剥き出しでその場の全てを濡らした。滝壺の中では二人組の女性が滝に打たれる滝行を行っていた。
城山は水の冷たさを想像して体を硬直させた。滝の中の二人はしっかりとした足取りで陸地に立つ彼の方へ向かっていた。彼は陸地に揚がってきた二人組の女性に聞いてみた。
「春先の滝の水は冷たくないですか?」
「真冬の雪の日でも滝行をするから分からない。」とその女性たちは首を傾げながら応えた。その女性たちは達者な足取りで駐車場の方へと向かった。駐車場までの道のりに焚き火や簡易式のストーブは用意されていなかった。彼女たちは本当に慣れているのだろう。距離のあるゲスト・ルームまでは暖房の施設はないはずである。彼女たちはまるで温泉から出てきたばかりの様にしっかりとした足取りで城山から遠ざかって行った。
城山は試しに春先の滝壷に右手の人差し指を淹れた。「冷たい!」と思わず声に出して、即座に手を引っ込めて、左手の指で冷たい指を包んで温めようとした。指先の芯から脳にまで届くような。反射的に手を引っ込めてしまう冷たさだった。
「春先の水はまだ冷たいやな。これも全ては経験。ガッツやで!」といつの間にかそこにいたベテラン芸人は彼に気さくに声を掛けてくれた。
見事な白装束のその人は巧みな所作で風を流すように城山の横を通り過ぎた。何処かでお稽古を積んだのだろう、「絶対的なリアリティがフィクションに魂と肉体を与える。」彼の信条が垣間見られる遊雅な時間が流れていた。そのベテラン芸人は水の中へとゆったりと進んだ。そして、滝壺の最も深いところに立ち、「ナムサラソヘラ〜」とお経らしき唸り声をあげ始めた。城山はその声は素っ頓狂で笑いだしてしまいそうなのを必死にこらえた。
いつの間にか城山の横にいた脳科学者は「常識を超越した不条理な状況はときとしてコメディーになるんだよね。」と独り言のように呟いた。彼の髪も頬も全てが濡れていた。彼は笑顔だった。
「あなたはあの芸人を面白いと思った事はないとメディアで発言していましたよね。」と城山は初対面なのに思わず質問してしまった。そして、気軽に声を掛けたことに若干の気不味さを感じた。
「周りを御覧なさい、森に囲まれた滝があり、白装束で滝に打たれる人物が存在する。我々の周囲は全てが明らかになっているのに、その起源は太古から続く自然の法則で隠蔽されて明らかではない。正に不条理だ。この世界で我々の疑問などは些細な事だよ。今を楽しみなさい。」と脳科学者は凡人には理解しがたい説明をした。
「そうですね。」と応えた城山の眼の前を滝からの落水は流れていく。その場にある全てを漏れなく濡らす。そして、全てを水に流すように流れ続けた。
#小説

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