見出し画像

歯という自分の部分品を失った

歯が欠けたので近所の歯医者さんに行った。数年ぶりの歯科受診。通院もしやすい状況になったので、少し不安はあるも「治すぞー!」と意気揚々としていた。行く前は入念な歯磨き(まるで久々に美容院にでも行くのかというおめかし)をして向かった。

レントゲンで診てもらったところ、「欠けた歯の隣が虫歯になっている」とドクターがおっしゃる。それもだいぶ大きなものらしい。

む。不思議に思った。なぜなら、欠けた歯の隣は銀歯だったからだ。銀歯が虫歯?そんなことはないです。銀ですよ、銀。余裕を浮かべていたが、出てきたレントゲン写真と説明を聞いて、言葉を失った。

銀歯ではなく、その下が虫歯になっていたのだ。写真に白く写る銀歯の底には、真っ黒の影。ギャーーー…軽くホラーだ。

恥ずかしい話が、ここ数年、その部分の歯茎がはれたりしても、なんの気なしに押し込んで誤魔化していた。有給使って早めに治療していたら、まだよかったかもしれない。完全に二の次だった。

あと勘違いもあった。自分は歯並びはいいほう。歯はしっかり並んでいる。隙間なく並んで、それでいいと思っていたけど、どうも歯石が詰まって隙間を無くしていたらしい。しっかり歯磨きしていれば、無いはずの隙間もなく、歯茎の化膿や出血もない。このあたりは小学校で習ったはず。大丈夫か。

ということで、歯を大事にできる人なら分かるけど、ちょっと歯のことをナメていた。数年の不摂生が祟ったんだ。

じっくり考える間もなく処置。歯石を除去し、長年つけた銀歯を外し、その下にある虫歯を抜いてきた。部分麻酔をかけたのち、抜かれようにも、なかなか思うように抜けてくれない。引っ掛けても崩れるらしく、傷まない患部がグリグリ動いて気味が悪い。そして「終わったな」という感覚もなく、先生の合図で終わった。

記念に?興味本位で?抜いた歯をもらった。小さく4つに欠けており、黒く蝕まれてダメになっていた。その中に直径1mmないぐらいの神経がみえた。

この歯も、神経も、ついさっきまで自分を構成していたパーツだ。ひとたび離れると、それは途端に自分とは違う、ただの部位になる。抜歯に意気揚々と臨むうしろで、それなりにためらいはあった。が、いざ離れるとなんとも呆気ない。無為の不摂生の結果が目の前に転がる。

こんな小さなモノが、時に身動きできなくなるほど痛んだ原因だったのか。痛むものなら取ればいい、と思ったけど、たかだか歯の一本だけでこれなら、歯全部なくなったら死ぬんじゃないのか?

でも、身内の話だと、歯がなくなったり、自分で食べられなくなると、人はほんとにすぐ死ぬらしい。奥歯は抜いちゃだめ、と歌もよく聞いていた。不細工な毎日を食いしばってきた自分には、これらの意見は信じられる。医学的な根拠は知らん。

抜歯してから4日経った。それから鈍痛が続いており、痛み止めを服用している。やはり歯ってものは馬鹿にはできないな。

自分を構成するもの、その一つひとつを取ってみれば、呆気ないほど部分品。その小さな部分品の集合が働きあって、考えたり、動いたり、話したり、人を産んだり、育てたりする。自覚しきれるわけもないが、生きてるってすごいな。あらためて絵本ペツェッティーノを読み返したい。

話を大きくする必要もなかった。失ってどうにかなるものでもない。今ある歯を大事にしよう。

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。