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テスト勉強は問題の答えを教えてくれても頭の使い方は教えてくれなかった

 学生の時の私のテスト勉強方法といえば、学校の学習ドリルをコピーしてひたすら繰り返し問題をといて答えを覚えるというやり方だった。定期テストなんて大体普段使っている学習ドリルから出題されるから3回ほど繰り返せば9割くらいは簡単にとれた。テストの順位も常に上位だったから今思うと定期テストごときで思い上がりも甚だしいのだが私は自分が勉強ができる子だと思っていた。だけど答えを覚えてしまえば点が取れるのは学校の定期テストで、学校統一模試はそうはいかなかった。国語と社会は相性がいいからか平均点は取れていたけれど数学がどうしてもできなかった。ワークを何回繰り返しても、他の教科より時間をかけて勉強しても、定期テストですら平均をちょっと上回るのが精一杯だった。


 今思うと私の学生時代の勉強法はかなりまずかったと思う。確かに同じ問題を繰り返しといて答えを覚えることで知識はついたし、粘り強く続ける忍耐強さも身についたと思う。だけどそれと引き換えに「知識を使って自分で考える」ということをほとんどしないまま社会人になってしまった。



 話は変わって今の私の仕事内容はマニュアルをもとに電話照会に答える作業がとても多い。単に書いてあることを答えるだけならいいが、実際に問い合わせの電話がかかってくる内容がマニュアルにないことだったりすることもよくある。
まずマニュアルを解釈することが常に求められている。「〇〇と書いてあるのはこういう場合にも適用できるのか」「この部分の根拠は何か」「AマニュアルとBマニュアルは同じ事を言っているのに矛盾している」そしてそれをもとに問合せがあった時に答えとその根拠を答える。相手もある程度知識のある人だから明確な理由がないとなかなか納得してもらえない。マニュアルにはっきり書かれていないことは、その事例の本質を抽出して解釈を導き出す。もちろん人によって解釈の仕方が違うから、意見が違う時は徹底的に議論する。


 「これはこういう答えだからこう」と「これはこういう考え方だからこう」は全然違う。前者は早押しクイズのように知識を当てはめているのに対し、後者は知識を骨組みにして答えを導き出している。前者ならテスト勉強みたいにひたすら繰り返し読み書きすればできるようになっていくが、後者は自分で考える力が要求されてくる。大学センター試験が大学入学共通テストに変わったように、社会自体が後者を求めていることを仕事をしながらひしひしと感じている。


 社会人の2倍以上の時を過ごした学生期間、何時間もかけて字面を覚えてそれをそのまま答える勉強しかしてこなかったため応用というものが全くできない。だから仕事でもよく「もっと応用きかせて」とか「そんな難しく考えるようなとこじゃなくない?」と言われてしまう。親にその話をすると「応用ができないならひたすら覚えるしかないじゃん」と一蹴された。そりゃあと数年で引退できる人達はいいんだろうけどね、何十年と現役の私はそれをそのまま鵜呑みにしたら少なくとも職種自体を変えないとやっていけないんだよ。あと転職するつもりは今のところないからそれは困る。もっと自分で考えられるような人間になりたい。そんなことを長々と書いていたらもう日付をこえてしまった。うん、ひとまず今は明日の朝ごはんのことを考えて眠りにつくことにするとしよう。

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