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 街から山へ、コスメから勉強へ

 20代前半の頃の楽しみといえば買い物や旅行だった。好きなブランドの新作チェックは欠かさなかったし、毎シーズン必ず新しい服は買っていた。話題のカフェに行って写真を撮って自分のインスタにあげたり、年に2回ほど東京に行って、そこにしかないお店を巡ったりネットの友達と遊び歩いたりした。

 26歳頃から、ブランドの服やコスメの新作をチェックするのが段々と億劫になっていった。SNSでバズっているものを見つけても一瞬あ、可愛いなと思うだけでさっさとスクロールしてしまう。インスタにお洒落な写真を載せ続けることにも段々疲れてきて、アカウントも消してしまった。




 27歳の今、休日は街のファッションビルでもSNSで話題のカフェでもなく、地元の山や海へ足を運ぶようになった。晴れた日に山手の神社に行って青い木々のトンネルのような表参道を散歩したり、山に囲まれた道をひたすら車で走る。
海は夕方に行く事が多い。入り口は高台になっていて、そこから浜辺に向かってかなり広い石段がある。そこに腰掛けて夕日が沈んでいくのをぼーっと眺めている。

 家にいる時間の使い方も変わった。以前は家にいるとスマホでTwitterやインスタのTLをひたすら眺めたり、イラストサイトで好きなアニメのイラストを見たり小説を読んで過ごす事が多かった。
 最近は勉強をするのにもハマっている。少し前にさんまの東大方程式というバラエティを見てから自分が受験勉強にものすごく悔いを残していた事を思い出して、特に悔いの強い数学の勉強をやり直す事にした。やり始めてみたら、自分はそもそも小学5年生の算数でつまづいてから数学が苦手になっていった事に気付き、今は小学5年生の算数の問題集をせっせと解いている。自分が小学生当時理解出来なかった概念が今勉強し直すと理解できるようになっていて、それが結構楽しかったりする。

 それから昔のやりかけのゲームや、やりたいと思っていたゲームソフトを買ってやったりもしている。スマホを持つようになってからSNSやソシャゲに夢中になって、ゲーム機のゲームを段々とやらなくなっていった。だけど時々思い出してぼんやりとやりたいな...と思ったりしていたので、きっと自分が気づいてなかっただけでゲームも勉強と同様思いっきりやりたかったんだと思う。



 そんな風に過ごしていて、私は誰かとどこかに出かけて思い出を共有する事以上に、一人で何かに没頭することに価値を見出している事に気づいた。

 買い物や友達との旅行はまるでポップコーンが弾けるような楽しさがあった。目新しいものを見た時の胸のトキメキはひとしおで、キラキラワクワクさせてくれるものや場所を求めて自然と人の集まる所によく足が向いた。そういう意味では昔の私の方がもっとキラキラしていたのかもしれない。

 今は楽しいことは確かに減ったかもしれないけれど、心を震わせられる景色が自分の住んでいる近くにあったり、自分の中の世界を膨らませていける事が嬉しくてたまらない。あの頃よりも少しじんわりと深く喜びを感じている。これが「幸せ」というやつなのかもしれないし、はたまたこれが今の「楽しい」なのかもしれない。それが分かるのはもう少し先になりそうだ。


 だけど価値観はどんどん変化していく。今は一人で何かに没頭するのが自分にとって何より人生に深い喜びをもたらしてくれるものだと思っているけれど、何年かしたら家庭に憧れを抱いてマッチングアプリを駆使しているかもしれない。急にやりたい事を見つけて転職している可能性も0ではない。

 だけどどうなったって私は幸せになれるんじゃないかなぁと思っている。(アラサーと言われてもこんな風に漠然と思うあたりがまだまだ自分若いなとは思うが...)どんな状況でも自分が価値を置くもの、心から惹かれるものを見失わなければ幸せになれる勝率はぐっと上がる。


 街から山へ、コスメから勉強へ、次は一体何になるのかな。

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