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vol.577 小さな善性とプレイヤーの良心。(稲田)2024/6/21

すごく抽象的なことを書きますが、顧客の動向や市場変化から、「たぶん今後は◯◯の方向へ舵を切らないといけないだろうな」と思うことがあります。それは自社のサービス内容だったり、そのための知見や経験の蓄積だったり。そんなの全然珍しいことじゃないですよね。仕事をしていればあって当然で。

でも、ぼくは別に経営者じゃないし気づかなかったことにしようと思えばできるのだけど、そうもいかない。「変化に対応する」ということは「自分たちも変わる」ということなので、勉強しなきゃいけないし最初は上手くいかないし何より面倒くさい。ああ!気づかなかったことにしたい!といつも思うけれど、その度に「そうもいかない」と思うわけです。うう…いやだけど始めてみるか…と思うことばかり。

もちろん真逆の超ポジティブな人もいるはずで。新しい発見や変化のきっかけに嬉々として取り組む人もいるんだろうと思います。もしくは危機感をもって取り組む人たち。ビジネスの文脈ではその方が多数派で。そうじゃなきゃいけないしそうあるべきと語られるケースも多い。でも、ある文脈の多数派が全体で見たら少数派であることなんて山ほどあります。学校もそうだったでしょ。カースト上位なんて数%だけどクラスの雰囲気や決定権はそれら少数派の声がまかり通っていた。

いや、別に恨み言をいいたいわけじゃないんです。ここで言いたかったのは「面倒だし気づかなかったことにしたいけれどそうもいかない」という層が一定数いるはずですよねということです。経営者でもないし上昇志向があるわけでもない。かといって怠け者でもないし、責任感もある。仕事はきちんとやりたいと思っている。いわゆる一般な人物、ぼくたちです。そんなぼくたちが「変わりたくないがそうもいかない」と思うことはすごく善性な事柄だなあと思うわけです。だって何も言われてないのに自発的にそう思うんだから。この気持ちや現象は何だろう。あえて言うなら「プレイヤーの良心」でしょうか。プレイヤーはコートに立っている以上、「よいゲームをしたい。よいプレイをしたい」と自然発生的に思うはず。本人も気づかないささやかなそよ風であっても。

日々の仕事にはそんな小さな善性といくつもの「そうもいかない」がたくさん埋まっているような気がします。大上段な意識改革や戦略策定も大切だけど、こういった小さな善性を拾って集めて可視化するのも大切なんだろうなあ…と最近思っています。小さいから見過ごされちゃうんですよね。大きな声や大きな文脈の影に隠れやすいし。すごく抽象的な話なんですけど。


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