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561「何を言うかより誰が言うか」より、「何を言うか。どう言うか」(稲田)2024/5/30

「何を言うかより誰が言うか」
まあそうだよねと思いますが、その誰かに自分がなれているかは大いに怪しいわけです。この場合の「誰」は相手との関係性が問われることはもちろんですが、それとは別にある分野の専門家だったり、知名度を指すときもある。当然、それを裏付ける実績もあって。つまり自分をカテゴライズして、そのように認知してもらって初めて「誰か」になれる。それ自体は大切なことだと思いますが今すぐできるわけじゃないですよね。極論をいえば社会人デビューをしたばかりの若者は何も言えなくなってしまう。

だとしたらぼくたち凡人は「何を言うか。どう言うか」の方が大切じゃないかなと思います。ぼくも含めてたいていの人は状況を一発解決するような言葉も知見も持っていないしそんなことを目指すべきではない。ほとんどのことはジリジリと匍匐前進するように合意形成し、薄紙を重ねるように信頼と実績を積んでいくわけです。スターや天才じゃないかぎり。この場合の重点ポイントは「誰」よりも、日々の実直な積み重ねになる。

そう考えると、ぼくたちは「言い方」や「伝え方」についてあまりにも無頓着ですよね。毎日誰かしらに何かを話して伝えようとしているのに。社内や社外を問わず。

話の順番や比喩の使い方のみならず、声のトーンや温かみ、話の速度や緩急、頷き方や目線の合わせ方、間のあけ方やジェスチャーの使い方。それら全部をひっくるめて「どう言うか」だと思っています。いわゆる非言語コミュニケーションです。話す内容を理解いただけるか、共感してもらえるかにおいてすごく大切な要素だと思っているのですが不思議なことに仕事の現場でほぼ語られることがない。もちろん大切なこととして実践している人はいるし珍しくもないのですが、不思議なくらい仕事のスキルとして語られない。話題になることもない。何でだろうなあ…と思う日々です。声のトーンなんてすごく大切ですよね。伝えたいなら。

オンラインで製品やサービスを伝える際に画面いっぱいに映った資料を解説するだけの人は珍しくありません。あれは「何を言うか」はギリギリやっているかもだけど、「どう言うか」についてはほぼ未着手だと思います。相手に届かないのだから無人島で喋っているのに近い。すごくもったいないですよね。

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