草木と生きた日本人 尾花
一、序
よひに会ひて あした面なみ なばりのの 萩は散りにき 黄葉早続げ (『万葉集』巻八・一五三六)
(夜中に会つて朝は恥づかしさに顔を伏せてしまひました。なばりのの萩はもう散つてしまひました。黄葉よ早く続いておくれ)
縁達師の歌です。どのやうな人物か、わかつてゐません。
前回、黄葉についてお話ししました。皇族の方や、経歴のわからない謎のいにしへ人が黄葉、そして紅葉をいかに愛してゐたかが感じられたのではないでせうか。
いにしへ人とつて、秋の萩の花や黄葉は何よりの楽しみでした。人によつては、春よりも秋の方が良いと言ふ歌を残しました。たとへば、万葉を代表する歌人、額田王には次の長歌が伝はつてゐます。
その歌の題詞には「天皇、内大臣藤原朝臣に詔(みことのり)して、春山の万花の艶と秋山の千葉の彩とを競ひ憐(あは)れびしめたまふ時に、額田王が歌をもちて判(ことはれ)る歌」とあります。歌を見てみませう。
冬こもり 春さり来れば
鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど
山を茂(し)み 入りても取らず
草深み 取りても見ず
秋山の 木の葉を見ては
黄葉をば 取りてぞ偲ぶ
青きをば 置きてぞ嘆く
そこし恨めし 秋山我は(巻一・一六)
(春になりますと、今まで鳴かなかつた鳥も来て鳴きはじめます。咲かなかつた花も咲きはじめますが、山が茂つてゐるので、山に入つて取ることもせず、草が深いので手に取つて見ることもありません。しかし、秋山の木の葉を見て、赤く色付いたのは、手に取つて愛します。まだ青いのは、そのままに嘆息します。その点がなんとも残念です。秋山こそ良いと思ひますよ、私は)
近江大津宮で、天下を治められた天皇、すなはち天智天皇の御代のこと。内大臣とは中臣鎌足、後の藤原鎌足のことです。天智天皇が鎌足に、「春山の花と秋山の黄葉のどちらが美しいのか」と御下問あそばされた際に、額田王が歌を以つてお答へしたものです。
額田王は、双方の美しさを比べることはせず、手に取ることができるかどうかを見て、そこで秋山の方をよしとしたのでした。素敵な、そして美しい感性でせう。
二、尾花
しかしながら、萩の花や黄葉だけが愛されてゐたのではありません。前に紹介した山上憶良の、
萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花 (巻八・一五三八)
の旋頭歌にあるやうに、特に七種の花が愛されたのでした。
また次の歌を見てください。
人皆は 萩を秋と言ふ よし我れは 尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ (『万葉集』巻九・二一一〇)
(世の人びとは皆、萩の花こそが秋の証しだと言ひます。なに、かまふものか、私どもは尾花の先を秋の風情だと言ひませう)
この名も無き万葉歌人は、萩の花ではなく尾花、つまりすすきこそ秋の証しと歌つたのでした。なほ、すすきは馬の尾に似てゐることから尾花と呼ばれました。
すすきについて、『日本国語大辞典』を見てみませう。
「イネ科の多年草。各地の山野に群生する。稈と葉は根もとから群がって生え、大きな株となる。高さ一~二メートル。葉は長さ六〇~九〇センチメートルの線形、先はとがり縁に細い鋸歯がある。下部は鞘さやとなって稈を包む。秋、茎頂に十数本の短い枝を分け、長さ一五~三〇センチメートルのほぼ円錐形で黄褐色の花穂をつける。花穂には節ごとに無柄と有柄の小穂を双生。小穂は長さ五~七ミリメートルの披針形で、基部にそれとほぼ同長の白毛を多数生じる。芒(のぎ)は小穂の約三倍に達する。茎・葉で屋根をふき、根茎は利尿薬になる。秋の七草の一つ。(中略)古くは葦、荻などをも含めて総称した。おばな。かや。」
尾花、すすきもいにしへ人に愛され、たびたび歌に詠まれました。『万葉集』には、
秋の野の 尾花が末の 生ひなびき 心は妹に 寄りにけるかも (巻十・二二四二)
(秋の野のすすきの末がなびくやうに、心は大切な彼女に寄つてしまつたナア)
尾花がなびくやうに、私の心も彼女に寄つてしまつた、といふ相聞歌です。
また、『古今和歌集』にも次の歌のやうに詠まれました。
秋の野の 尾花にまじり 咲く花の 色にや恋ひむ 会ひよしをなみ
(秋の野のすすきの穂にまじつて咲く花の色が目立つやうに、私の本心を隠さないで恋慕はうか、会ふ方法もないから…)
同じく恋の歌せす。万葉の時代はなびく様子を、古今の時代は他を引き立てる色を歌にしてゐますね。どちらも素敵な歌ですね。
花すすきとも詠まれました。
今よりは 植ゑてだに見じ 花すすき 穂に出づる秋は わびしかりけり
(これからは野に出ても、家の庭に植ゑても、花すすきを見ることはしない。花すすきの穂が出て秋の気配が目立つてくると、悲しくなつてくるから…)
平貞文の歌です。花すすきに秋の悲しさを感じてゐるのです。
もう一首。
秋の野の 草のたもとか 花すすき 穂に出でて招く 袖と見ゆらむ
(秋の野の草を着物とすれば、花すすきはたもとなのでせうか。だから穂が出ると恋の思ひをはつきりとさせて招く袖と見えるのでせう)
在原棟梁の歌です。さすがは業平の長男といふべき巧みな歌です。
後世、「化物の正体見たり枯れ尾花」などと詠まれ、幽霊だと思つてゐたがただのすすきだつたといふお話しで知られるやうにもなりましたが、すすきを見ると私どもは深まり行く秋の風情を感じずにはゐられないでせう。
三、秋から冬にかけて
山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
(山里は特に冬が寂しさが増すことです。人も訪れず、草木も枯れてしまふのを思ふと)
「百人一首」に収められた源宗于の歌です。
多くの歌集を見てみると、冬は草木の歌が極端に少なくなります。それは、宗于の歌にありますやうに、草木が枯れてしまふからでせう。『万葉集』でも『古今和歌集』でも、冬の歌は少なく、草木になるとさらに少なくなります。
とはいへ、今の時期でも地方を旅する時、すすきが風になびく姿を見ることができるでせう。先日、栃木県の真岡鐵道に乗る機会がありました。茂木駅から下館駅まで行く蒸気機関車の窓から見えたものは、赤く色付くからすうりであり、風になびく花すすきの穂でした。
最後に、『万葉集』に詠まれた意外な秋の草木について見てみませう。次の歌をお読みください。
高松の この峰も狭に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ (巻九・二二三三)
(高松のこの嶺も狭しと傘を突き立てて、満ち溢れてゐる秋の香りの、なんと素敵なことでせうか)
この歌、「笠立てて満ち盛りたる秋の香」とマツタケが詠まれてゐます。『万葉集』にマツタケが詠まれたのはこの一首だけですが、いにしへ人はその香を佳しとしたのでした。なほ、高松を高円として地名と見る説もあります。
秋の草木は七種の花に代表されますが、いにしへ人は決してそれのみではなく、自由に秋の美しさを歌にしたのでした。さうした感性と、その感性につながることができることを私はとても嬉しく思ふのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?