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東京23区内の”森”を探索しよう その②



高級住宅街の中の森(続き)


現地は、五反田駅から徒歩10分、桜田通り沿いの「宝塔寺」というお寺の境内でした。航空写真で確認した通り、本堂の裏の崖には照葉樹の木立があります。

宝塔寺の森。裏手のスダジイ、アカガシは樹齢300年以上と推定されている。

っが、しかし。
いざその木立に近づいてみると、そこには森というよりも庭園に近い風景が広がっていました。スダジイ、アカガシなどの照葉樹が何本か生えているのですが、以前強剪定が行われたのか、皆人為的な樹形になっています(てかアカガシって、もっと標高が高いところが好きなはずだけど、なんでこんな海沿いに居るんだ?)。
航空写真で見たこんもりとした樹冠は、剪定前の姿だったのでしょう。
樹々の足元には、ポピュラーなグランドカバープランツであるオカメザサがびっちりと植栽されていて、人工的な園地のような雰囲気(オカメザサが自然下で現れることは殆どない)。一部の区画は、コンクリートで固められていました。

オカメザサがびっちりと茂った林床。

国立科学博物館のレポートによると、宝塔寺の裏手の急な崖は、なんと17世紀から手付かずなんだとか。その結果、斜面にへばりつくようにして老齢の照葉樹が育ち、小さな”原生林”が出来上がったのです。

しかし1969年の調査当時、この森の林床植生は貧弱で、アカガシやスダジイの実生ぐらいしか見当たらなかったそうです。照葉樹林特有の劣悪な日照と、土壌の流失のせいでしょう。こういう森では、土砂崩れや倒木のリスクが高まります。
オカメザサやコンクリートで斜面が覆われていたり、樹々が強く剪定されているのは、寺院の建物を守るための危機管理の意味合いが強いのではないでしょうか。森の景色が大きく変えられているのは残念ですが、都会の森は人間が管理しないと、時として大きな災害を引き起こします。

こればっかりは仕方ないよね、ということで次の森へ向かったのですが、ここで思わぬ障壁にぶち当たりました。

東五反田の高級住宅地。とても森歩きをしている最中に出会う景色ではない。

国立科学博物館のレポートには、宝塔寺以外に「清泉女子大学敷地内のクスノキ林」「上大崎3丁目の藪」の2箇所が掲載されていたのですが、両方とも関係者以外立ち入り禁止。清泉女子大学に関しては、路地が入り組んだ住宅街に位置していて、敷地に接する道路が存在しません。外から森を眺めることすらできない。
上大崎3丁目の薮は、タイ王国大使館の敷地内らしく、森の周囲は高い壁で囲われていました。林内にズカズカと入り込んでいけるような雰囲気ではありません。

森が長期間保存されるためには、「一切開発が行われない」という前提条件が必要になりますが、東京という大都会においてそれを満たす場所は、名家の邸宅や大使公邸など、重要施設の敷地内に限られます。当然ながらそういう場所は警備が厳重なため、一般人には近付き難い…。
東京の自然林は、ある意味地球上で最も行きにくい森なのではないか。ニュージーランドの奥地の温帯多雨林のほうが、まだ簡単にアクセスできる気がします。

護られた森


23区内での自然林探しの難しさを実感した僕は、作戦を変更し、一般人でもアクセス可能な公共の緑地に注目することにしました。
2017年の「東京緑化白書」によると、東京23区の全面積のうち約17%は、植物の緑に覆われているそうです。これらの緑被の大部分は、代々木公園、上野公園、日比谷公園といった大規模緑地の芝生や植栽木。つまり”人工的な緑”です。

しかし23区内の大きな公園の多くは、開発の波が及びづらい武家の邸宅や寺院、軍の施設の跡地に造成されています。ならばその敷地内に、数世紀前の森の景色が残った区画があってもおかしくないのでは。
そう思って、都内の主要公園の航空写真を漁り、自然林らしき林冠を探してみました。

静嘉堂緑地の位置。国分寺崖線に沿って緑地が広がっている。

最初に目をつけたのは、世田谷区の静嘉堂緑地。多摩川の浸食作用によって形成された急傾斜地(国分寺崖線)に広がる森です。
閑静な住宅街の、ずいぶん奥まった場所に、森の中へと分け入る小道があって、その奥には23区内とは思えない”別世界”が広がっていました。

緑地を横切る階段。住民の生活道路になっているが、周囲に広がっているのは成熟した自然林。

小道の両脇を囲む、ムクノキ、シラカシ、スダジイ、イヌシデ、ケヤキの木立。典型的な関東地方の平地の自然林です。がっしりとした体格の樹が林立する様からは、成熟した森ならではの奥深さを感じます。人間の干渉を受けた形跡を感じさせない、樹々の立ち振る舞いと植物相。23区内で、こんな森がまだ生き残っていたとは…。

中高木層や低木層の植生も豊富。
森の外観。スダジイが優勢な印象だが、
林内にはムクノキやケヤキ、イヌシデなどの落葉樹もちゃんといる。

もともと静嘉堂緑地は、三菱財閥の創業者一族である岩崎家が所有する庭園でした。それが1945年ごろに放棄され(おそらくGHQの財閥解体の影響)、人の出入りが途絶えた後に自然発生したのが現在の森。80年近く放置されれば、どんなに綺麗な庭園も土着の植生へと還っていくのです。
現在静嘉堂緑地の森の核心部は立ち入り禁止で、厳格に保護されています。90万人以上の人口が暮らす世田谷区内で、人間の社会とは完全に切り離された深い森が育っている。いい意味でシュールな光景です。

目黒自然教育園のムクノキ。

静嘉堂緑地と似たような経歴を持つ自然林は、他にもいくつか存在します。
目黒区の目黒自然教育園は、おそらく23区内で最大の自然林でしょう。江戸時代に高松藩主の屋敷だった土地で、その総面積は20ha。コンクリートの海に浮かぶ巨大な”緑の島”です。園内には、コナラ林やアカマツ林、湿地、小川など、有史以前の東京に広がっていたであろう自然環境が、ひとまとまりに保存されています。

目黒自然教育園の通路。林内にはイイギリが多かった。

1949年に一般開放されるまで、長らく自然教育園がある土地は政府機関の管轄下にありました。明治時代に軍の火薬庫として利用された後、1917年から戦後までは”白金御料地”、つまり皇室の資産として、宮内庁に管理されていたのです。当然ながら、開発はおろか一般人の立ち入りすらも制限されていたわけで、結果として自然度の高い植生が保存されました。

アサギマダラの食草、キジョラン。自然度が高い照葉樹林に生育する蔓性植物。
23区内にコイツが生えている場所があるとは思わなかった。

散策路を歩いてみると、スダジイやムクノキ、イイギリの大木が多く目につきます。自然のままに遷移した森なんだなあ、と一目でわかる光景。人の介在が掻き消された森景色が、なんとも心地いい。首都高を走る車の音が聞こえたり、枝葉の隙間から高層ビルが見えたりしなければ、ここが23区内だなんてとても思えません。

スダジイの巨木。東京の自然林では、頻繁にスダジイを見かける。

さらに、東京を代表する大規模緑地・新宿御苑の敷地内にも、自然林の様相を呈した区画が存在します。
新宿御苑というと、外国産樹種の植栽や温室、芝生広場が有名で、”手入れの行き届いた庭園”というイメージが強いですが、敷地の辺縁部にはスダジイやケヤキ、シラカシ、イヌシデが生い茂った”森”が広がっています。実はこの森、東京都から「特定植物群落」の指定を受けていて、自然度の高い植生として保護されているのです。

新宿御苑の”森”。御苑の敷地をぐるっと取り囲むようにして広がっている。

新宿御苑も、目黒自然教育園や静嘉堂緑地と同じく、江戸時代の大名屋敷を公園に転用した土地。件の自然林が、いつ頃から存在していたのかは定かではありませんが、1909年発行の地図を見たところ、現在とほぼ同じ区画に森が広がっていたのを確認できました。
世界有数の摩天楼の足元に、百年近く緑を湛え続けてきた自然の植生がある。この事実が、たまらなく愛おしい。
新宿御苑を訪れる人の多くは、丁寧に管理された庭園を目的にしていると思うのですが、ぜひその外側に広がる野生味あふれる植生にも注目していただきたいものです。

アオキ、シロダモなど、典型的な暖地の植生を示す新宿御苑の森。
周囲のビル群や、丁寧に管理された園地との対比が美しい。


その③へ続く




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