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東京23区内の”森”を探索しよう その③

その②から続く

ここまでいくつかの自然林を回ってきましたが、それぞれの森の樹種組成は、概ね似通っていました。スダジイ、アカガシ、シラカシが優勢の照葉樹林に、ムクノキやケヤキ、イヌシデなどの落葉広葉樹がところどころで混じる、というのが、東京の自然林の基本的な構成のようです。

しかし、国木田独歩の「武蔵野」に描写されていたのは、コナラやクヌギなどからなる落葉広葉樹林。僕が見た林相とは大きく異なります。19世紀末から現在にいたるまでの約130年の間に、23区内の植生は全くの別モノに入れ替わっていたのです。一体何が起こったのか。

都市が発展すればするほど、森の歴史は逆行する


普段の生活では全く気づくことができませんが、森というのは変化の連鎖によって成り立つ生態系です。
アスファルトの割れ目のタンポポも、樹齢数百年のスダジイの大木も、全ての植物は多かれ少なかれ落葉・落枝などの有機物(専門用語でこれをリターと呼ぶ)を土壌に供給します。それゆえ、植物が生えている土地では時間が経つにつれて土壌が肥沃になっていき、逆に陽当たりは悪くなっていきます。
こういった土壌・日照条件の変化に応えるようにして、森の構成樹種は年月と共に入れ替わっていくのです。このプロセスを、生態学の世界では「植生遷移」と呼んでいます。「武蔵野」の記述と現在の森の姿が食い違っている原因も、まさにコレです。

遷移初期段階の土地(上の写真、兵庫県神戸市)では、パイオニア植物(日当たりが良い場所を好み、痩せ地でも生育できる。写真中ではオオバヤシャブシ)が優勢なのに対し、遷移中期段階の土地(下の写真、兵庫県川西市)ではコナラ、クヌギ、イヌザクラなど、高木の広葉樹が優勢となっている。遷移がすすむにつれて、樹種のバリエーションと、植物のサイズが増しているのがわかる。
植生遷移の模式図(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Forest_succession_depicted_over_time.png)より引用。

植生遷移は、放っておくと「極相」という状態に到達します。極相というのは、いわば森の完成形。極相状態にある森(極相林)の景観は、一般的に”原生林”と呼ばれる森のそれに近いです。有史以前、日本列島の大部分はこの極相林に覆われていました。
しかし、極相林というのは案外脆い存在で、人によって伐採されるとすぐにその構造が崩れてしまいます。農耕が始まってからの約2000年間で、大半の極相林は人にとって使い勝手が良い形態に改変されてしまいました。東京近辺の地域も、例外ではありません。

極相林とは、こんな感じの森。大木が多く、一度迷い込んだら出て来られなくなりそうな、
鬱蒼とした森。高知県四万十川源流の、シオジ・トチノキ林。

1999年に、千代田区と港区にまたがる溜池遺跡で、非常に興味深い研究が行われたことがあります。その内容は、地中に埋まった花粉を分析して、過去6000年間に東京の植生がどう変化したかを解き明かす、というもの。

この研究によると、約6000年前〜2600年前に相当する地層では、時代による樹種組成の変動こそあれど、大量の樹木花粉が検出されたそうです。これは、かつての東京に広大な原生林が広がっていたことを示唆しています。おそらくこの原生林の多くは、極相に達していたのでしょう、検出された花粉のほとんどは、極相樹種(極相林の好む樹種)のものでした。

しかし、約2000年前〜1000年前にかけて(弥生時代〜古墳時代)の地層では、これらの樹木花粉が激減しており、代わりに稲の細胞組織が検出されています。約1000年前に稲作が始まり、その影響でかつての極相林は急速に姿を消していった…そんなストーリーが思い浮かびます。

江戸時代の武蔵野の様子を描いた図。森の姿はない。歌川広重「不二三十六景」より。

広範囲にわたって極相林が破壊されると、その跡地にはクヌギやコナラなどの落葉広葉樹が侵入し、二次林が形成されます。この二次林は、薪や炭の供給源となり、人間にとって使い勝手が良かったため、やがて里山林として管理されるようになりました。クヌギ・コナラの二次林も、時間が経てば再び極相林へと遷移してゆくのですが、里山林では頻繁に樹が伐採され、同じ樹種の世代交代が繰り返されるため、遷移が停止してしまいます。結果として、クヌギ・コナラの森が、数百年にわたって維持されることになる。
そうして出来上がったのが、「武蔵野」で描写された美しい落葉広葉樹林だった、というわけです。

兵庫県川西市の台場クヌギ。
伐採→切り株から萌芽→伐採…という経過をへて、このような樹形になった。
こちらは兵庫県川西市のコナラ林。国木田独歩が見ていたのは、こんな森だったのだろう。

しかし19世紀以降、鉄道などの交通インフラが発達し、都市化の波が東京の郊外へ及ぶと、状況は一変します。山手の谷間の農村地帯は、家屋や工場がひしめいた人口密集地となり、その周囲に広がっていた里山林も、一掃されて都市の一部に組み込まれました。そんな中、かろうじて森が残ったのが、都市開発の”ムラ”が生じた土地、即ちかつての大名屋敷の敷地や、開発が不可能な急傾斜地です。

しかし、近代化した都市では薪炭の需要がゼロに等しいため、その中にポツンと取り残された里山林には人の管理が入らなくなります。その結果、稲作が始まって以来約800年間にわたって停止していた植生遷移が再開。100年ほどの年月が経ち、人間の社会が高度経済成長期に差し掛かったころ、残存林の内部の植生は極相に達しました。そして、世界一の経済大国の首都となった1960年代の東京に、1000年前の極相林が、突如として姿を現したのです…。

新宿御苑のスダジイの森。
こんなにも見事な樹冠が形成された照葉樹林は、地方に行ってもなかなか見られない。

東京都のウェブサイトでは、「潜在植生地図」という色分け地図が公開されています。これは、人間の影響力を完全に排除した条件下で、それぞれ土地の植生がどのように遷移し、極相に到達するのかを表した図。言い換えれば、先史時代にその土地がどんな森で覆われていたのかを示す図、ともいえます(※)。
それによると、東京23区内の潜在植生は、東京低地のエリアでタブノキーイノデ群集、低地と山手の境目の斜面帯ではスダジイーヤブコウジ群集、山手の台地上ではシラカシ群集となっており、僕が実際に見た林相とぴったり重なります。

また、先述の花粉分析の研究においても、2600年前の地層(東京が極相林で覆われていた時代の地層)からは、アカガシやシラカシ、アラカシなどの照葉樹の樹木花粉が検出されています。この樹種組成も、僕が現地で観察した森のそれと酷似しています。
つまり、僕が巡った自然林の多くは、すでに極相に近い状態に到達していたのです。

東京の潜在植生。①がスダジイーヤブコウジ群集、②がシラカシ群集、③がタブノキーイノデ群集。(https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/kankyo/green_biodiv-ns_guidelines-files-diagramより引用)

現在の山手に点在する「東京の自然林」の正体は、都市が発達する前の東京の姿ではありません。それよりもさらに昔の時代、農耕が始まる前の、古代の日本列島を覆っていた森の姿なのです。

都市の内部に残存する”森の切れ端”は、人間社会の歴史の流れから完全に取り残されてしまった土地です。都市の発達によって農村が消え去ると、農耕社会が長い間飼い慣らしてきた里山の植生が、突如自然界へと投げ出されます。すると、数百年前に停止された植生遷移が再び再生され、森が極相へ向けて胎動し始める。そして、都会のコンクリートの海に、先史時代の森が浮かびあがる…。都市が発達して、森が人間社会から切り離されると、その内部は1000年以上前の景色へと戻ってゆくのです。

護国寺のスダジイ林。よく探してみると、23区内には照葉樹の大木が生い茂った区画が多い。

僕が見た”東京の自然林”は、そんな経緯で出来上がったもの。「都市化」という言葉には自然破壊のイメージがつきまといますが、現代日本においては、原生的な森はむしろ都市の内部に残っているのです。
(※)現在の環境と過去の環境(気候、土壌条件、地形など)が同じであるとは限らないため、「現在の環境をもとに」構築された概念である潜在植生は、必ずしも正しいとは限らない、という主張もあります。

高級住宅街が都市の自然環境に与える影響


23区内の残存自然林は、山手の高級住宅街に点在しています。森と高級住宅街には、密接な関係性があるのです。

静嘉堂緑地の近く、世田谷区瀬田の住宅街。起伏が激しい。

高級住宅街という場所は、都市の森の保存先として理想的な特性を備えています。
大きな邸宅が集中する土地では、大規模な開発や区画整理が行われることなく、時には数百年近くに渡って同じ街並みが保全されます。また、東京の高級住宅街の多くは、起伏に富んだ丘陵の尾根筋に広がっているため、都市開発の”ムラ”が生じやすい。白金台、大崎近辺の航空写真を眺めてみると、住宅の隙間に、いくつもの残存林が挟み込まれているのを確認できます。
こういった「森の破片」があるのは、たいてい急斜面上。傾斜のきつさから建築が行われず、土地が放置された結果、森が残った…というストーリーが容易に想像できます。

品川区の高台の航空写真。住宅密集地の隙間に、緑が蓄えられた空間がある。
地理院地図の航空写真より作成。

高級住宅街に森が残りやすい、という事実は、データでも裏付けられています。2023年の東京23区の緑被率ランキングで上位を占めているのは、港区(22.6%)、千代田区(23.22%)、世田谷区(22.56%)など、官庁街や邸宅街が広がる区。もちろん、これらの緑被の全てが自然林、というわけではありませんが、高級住宅街では相対的に緑のボリュームが大きくなる、という傾向は確かに存在するのです。一つ一つの邸宅が広く、土地に余裕があるために、質の高い緑が育ちやすいのでしょう。

都市の自然環境を保全する上で、高級住宅街は非常に重要な役割を果たしているといえます。

高級住宅街の代名詞、兵庫県芦屋市六麓荘町の航空写真。やはり緑が多い。

高級住宅街の緑は、都市における生物多様性の保全にも役立っています。
たとえば江戸時代の大名屋敷の庭園内では、しばしば里山林が意図的に残されていました。森そのものを庭園のランドスケープとして使っていたわけですが、それらの小規模林分にはクサイチゴやスミレ類など、森林環境に依存する種が生育していたそうです。邸宅の庭が、都市化によって棲家を失った植物種たちの”最後の砦”となっていたのです。

宅地の隙間に広がる”森の断片”も、シジュウカラ、キジバト、コゲラなど、樹林棲の鳥類の貴重な住処となります。たとえそれぞれの森の面積が小さくても、高級住宅街特有の”ボリュームのある緑”でそれらが相互に接続されれば、街中に大きな”森のネットワーク”が出来上がります。これが実現すれば、都市の生物多様性は著しく上昇することでしょう。「緑が多い風景」というのは、人間にとってだけでなく、都市全体の自然環境にとって良い効果をもたらすのです。

緑の質が高い街は、やはり居心地が良い。ニュージーランド・タウランガのスズカケノキ並木。

しかし、23区内の自然林が良好な状態で持続していくためには、まだまだ解決しなければならない課題も残されています。

たとえば、急斜面上の森で植生遷移が進むと、土砂災害のリスクが高まることがあります。急傾斜地では、ただでさえ土壌が流失しやすく、下層植生が発達しにくいのに、そこで照葉樹林が成立してしまうと日照状態も悪くなり、林内の植生がさらに劣化するためです。最初に訪れた品川区の宝塔寺は、この好例。

都市内の自然林は、ときに人間にとっての脅威になりうるのです。照葉樹林を伐って、植生遷移を停止させる判断が必要となる場所も出てくるでしょう。

シュロが混じる森。世田谷区等々力渓谷にて。ヤシの仲間で、扇状の葉をつける。
比較的耐陰性があるため、極相林の林床でも容易に芽吹き、群落を形成することができる。
彼らの繁茂により、在来の樹種の世代交代が阻害されている箇所も実際に存在する。

外来植物の存在も気になります。
静嘉堂緑地では、シュロやトウネズミモチが繁茂している箇所が散見されました。前者は九州南部、後者は中国の原産で、もともと東京にはあるはずのない植物です。
彼らが自然林で勢力を伸ばし続けると、森の構造が大きく変わりかねません。23区内の自然林は、自然がほとんど失われた21世紀の東京に、過去に確かに存在した森の歴史を伝える、貴重な財産です。人工的に作られた都市の植栽と、ごちゃ混ぜにするわけにはいきません。

2000年前、関東以西の暖地に広がっていたもともとの照葉樹林には、モミが多く混じっていたと言われている。東京の自然林にも、モミが多かったらしい。”代々木”という地名の由来も、江戸時代にその地に存在したモミの巨木であると言われている。しかし、自動車交通の発達による大気汚染で、昭和中期にモミの巨木は激減しており、現在東京23区内でモミが生育する森は存在しない。つまり、東京の自然林は、もともとの原生的な植生とは違うものになりつつあるのである。
写真は京都府鞍馬のモミ。

都会の自然林は、一見すると藪のようで、綺麗に管理された人工緑地と比べると見劣りしている感が否めません。わざわざ自然林に足を運び、そこに何らかの価値を見出す住民は、まだまだ少数派でしょう。目黒自然教育園や新宿御苑など、緑地の中の自然林には適度な人の手が入っていますが、世田谷区や品川区の斜面林は、その多くが放置されている印象。この状態は、ちょっとまずいのでは、と思います。

都市内部の自然林は、物理的にも生態的にも、脆い存在です。樹々を伸ばしっぱなしにすれば、斜面の地盤が森の重みに耐えきれなくなって、土砂崩れが発生するかもしれませんし、周囲の植栽から外来種が紛れこめば、森全体の植生が変わってしまうかもしれません。
都市開発によって森が細かく分断されると、その森は自然の遷移のみで持続する能力を失ってしまいます。つまり、都市の中の森は、人間の助けなしでは存続できない生態系なのです。

森の自然と、森の周囲の人間の都市生活。両方を守るための森のメンテナンス。2020年代の東京に残された最後の自然は、まさに今、それを必要としています。

参考文献

・奥田重俊(1969)”東京都内の残存植生”
https://www.kahaku.go.jp/research/publication/meguro/download/01/ns-r-1_3.pdf

・東京都パラリンピック・オリンピック調整部(2016)”東京 2020 オリンピック・パラリンピック競技大会実施段階環境影響評価書”
https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/followupkeikaku_archery_5.pdf

・遠藤毅(2004)”東京港における埋め立ての歴史
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/113/4/113_4_534/_pdf

・環境庁(1988)”第3回自然環境保全基礎調査 植生調査報告書(東京都)”
https://www.biodic.go.jp/reports2/3rd/vgt_13/3_vgt_13.pdf

・巽好幸(2022)”徳川綱吉の火山性不毛地帯「関東ローム」との闘い”
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/7005b241709a6627c92596884e73fab090bfa552

・世田谷区(2011)”世田谷区の土地利用2011”
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/001/001/d00016866_d/fil/1-2011.pdf

・国木田独歩(1901)”武蔵野”
https://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/329_15886.html

・谷弘(2011)”利根川は江戸湾に流れていた〜利根川東遷と川舟の内川廻し”
https://kaijishi.jp/wp-content/uploads/2021/09/resume202010_tani.pdf

・葛飾区(2017)”葛飾区史”
https://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/index.html
https://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/pdf/6_1%E7%AB%A0%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%96%E6%8E%B2%E8%BC%89%E7%94%A8.pdf

・高岡貞夫(2012)”過去100年間における都市化にともなう東京の生物相の変化”
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/122/6/122_122.1020/_pdf

・沖津進(2012)”多摩地区を中心とした東京における緑地環境の変化と管理”
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/123/2/123_123.211/_pdf

・平川 幸子・小池 文人(2020)”江戸時代から続く大都市に残存する里山景観の植物相を用いた緑地評 価”
http://vege1.kan.ynu.ac.jp/yedo.pdf

・ 榎本 毅(n.d.)東京 23 区における緑化の現状に関する研究
http://jsrsai.jp/Annual_Meeting/PROG_55/ResumeD/D01-2.pdf

・一般社団法人 東京都造園緑化業協会 (2018)東京都緑化⽩書 
http://www.tmla.or.jp/hakusyo29hp.pdf

・世田谷区(2024)”静嘉堂緑地の自然林”
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/005/002/d00038442.html

・東京都パラリンピック・オリンピック調整部(2016)”生物の生育・生息基盤
https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/taikaijyunbi/torikumi/facility/kankyou/pdf/shokihyoukasho_5-04.pdf

・一般財団法人国民公園協会(n.d.)”  新宿御苑の歴史”
https://fng.or.jp/shinjuku/gyoen/history/

・萩原信介・倉俣武男.藤本沙由美.安部代始子・近田文弘(2002)”自然教育園の種子植物”
https://www.kahaku.go.jp/research/publication/meguro/download/34/ns-r-34_1.pdf

・吉川昌伸(1999)”武蔵野台地東部の溜池遺跡における 過去6000 年間の植生変遷”
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hisbot/7/2/7_47/_pdf/-char/ja

・中村麻子(2016)”武蔵野台地における人の暮らしと景観の移り変わり”

・港区(n.d.)”港区の生物多様性の現状について”
https://www.google.com/search?q=%E6%B8%AF%E5%8C%BA%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7%E3%81%AE%E7%8F%BE%E7%8A%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6&rlz=1C5CHFA_enJP951JP951&oq=%E6%B8%AF%E5%8C%BA%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7%E3%81%AE%E7%8F%BE%E7%8A%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUyBggAEEUYOTIKCAEQABiABBiiBDIKCAIQABiABBiiBDIKCAMQABiABBiiBDIKCAQQABiABBiiBDIKCAUQABiABBiiBNIBCTk1MzFqMGoxNagCCLACAQ&sourceid=chrome&ie=UTF-8



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