見出し画像

番外編 休日は足を伸ばして

ちいさな草花を育て愛でる園芸の世界から少しはみ出して…今回はスケールの大きな「庭園」のお話です。

(画像タップで拡大できます)

江戸の町の大きな特徴として、庭園、つまり人の手で作られた“自然風景”があちこちにあることが挙げられます。100万人規模の一大都市でありながら、歩いていると「あれ、意外と緑が多いな」と感じる町ということです。「庭園都市」と評されることもあるくらい、江戸の町には庭園が多かったのです。

なぜ、それほど庭園が多かったのか。はじまりは大名たち。当時、江戸には「参勤交代」というシステムのもと、諸国の大名たちが滞在するためのお屋敷が多くありました。そしてその権威を保つべく趣向を凝らし、各々が競うように社交の場として造り出したのがいわゆる「大名庭園」だったのです。全国約300の大名たちの屋敷群と一緒に造られた庭園は、実に1000にものぼったと言われます。
この庭園のポイントは、中心に大きな池があり、その池の周りをぐるりと歩いて楽しむ“散策”を前提とした形式であることです。建物の縁側から座ってのんびり眺めるタイプの庭園とは少し趣が異なるのですね。
海岸に近い低地にあるお屋敷ならば潮入りの池、高台にあるお屋敷ならば神田上水などの水道から水を引いてつくった池…など、池の作り方ひとつとっても、お屋敷の立地に沿った特徴がありました。

また、庶民の生活が豊かになる江戸時代後期にもなると、今度は庶民の休日のお出かけスポットとしての庭園が人気を呼びました。寺社や、農民・町人が抱えた庭園などがそれにあたります。
ツツジ、ボタン、ウメ、フジなど、それぞれの庭園は花の名所も兼ねていました。そして名所の近くには茶店や屋台が並び、季節ごとに人が訪れおおいに盛り上がりました(江戸の花の名所は第5回でも紹介しています)。
緑の中を散策しながら季節の花を眺めつつ、美味しいものを食べて過ごす庭園での1日は特別なものだったに違いありません。普段は狭くて日当たりの悪い裏長屋に住む家族も、少し遠出をして庭園でのびのび散歩をすればリフレッシュができました。

寺社の庭園は、根津神社(最寄り駅:根津)のつつじ祭りなど、花の名所と合わせて現在も楽しむことができる場所が多いです。
一方、江戸時代これだけ繁栄した大名庭園は、明治の新政府による土地接収、関東大震災、東京大空襲などの被害を経てそのほとんどが姿を消しました。しかし、小石川後楽園(最寄り駅:水道橋、後楽園など)や六義園(最寄り駅:駒込)などは地道な保存・復元作業を経て当時の雰囲気を今に伝えています。機会があればぜひ、足を運んでみてくださいね。

(笹井さゆり)


【参考文献】
白幡洋三郎『大名庭園』ちくま学芸文庫
飛田範夫『江戸の庭園―将軍から庶民まで(学術選書)』京都大学学術出版会
【参考Webサイト】
https://nedujinja.or.jp/
https://www.tokyo-park.or.jp/park/koishikawakorakuen/
https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/tomiokahachimangu/
https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/umeyashiki/?tokyo=koto
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?