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2021/06/22 責任と自由
「自由には責任が伴う」
とは本当によく言われることだが、自由を求めようが何をしようが、「自分が幸せでいる」ためには何かしらの責任が伴う。
それは人間が一人では生きられないために、自分以外の誰かを思いやっていかなければ(=責任)、自分がやりたいこと以前にやるべきことすらできないから。
では逆に「責任を取ったら自由になれる」のだろうか?
「やることやんないと自由なんかもらえないんだぞ」「みんな苦労してその地位を築いているから自由に見えるんだぞ」はどこかの若者を搾取するブラック企業の言い草にしか聞こえないが、一理あると思う。ただ、あくまで「一理」でしかない。
苦労した分だけ報われる世界というのも理想像でしかないが、もしそうだとしても残りの人生がなくなるくらい苦労するのは本末転倒だ。
「そこそこに」苦労して「そこそこに」報われる。
そんな選択肢が当たり前の世の中がやってきている気がする。だからブラック企業はよりブラックになり、SNSはよりひとりひとりに優しくなる。
年寄りは「一昔前なら頑張ればできたことを、若者がやらないこと」に腹をたて、
若者は「報われるかどうかもわからない世界に向かって頑張ることを強要される」恐怖の中を生きている。
「時代の流れ」と表現すればそこまでだが、時は止まってくれない。世界は変化し続ける。
だから自分の中の「責任」も「自由」もアップデートしていこう。自分の中にある概念だけではどちらにしろ取り残される。
副業という自由だったりワーケーションという責任だったり、そのほかにもたくさんの今までにない責任と自由が生まれている。
その変化を楽しみながら、それぞれの「責任」と「自由」を再定義してみるのも、必要なタイミングなのかもしれない。
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