船に乗れ!合奏と協奏


音楽一家に生まれた僕・津島サトルは、チェロを学び芸高を受験したものの、あえなく失敗。不本意ながらも新生学園大学附属高校音楽科に進むが、そこで、フルート専攻の伊藤慧と友情を育み、ヴァイオリン専攻の南枝里子に恋をする。夏休みのオーケストラ合宿、市民オケのエキストラとしての初舞台、南とピアノの北島先生とのトリオ結成、文化祭、オーケストラ発表会と、一年は慌しく過ぎていく。書き下ろし、純度100パーセント超の青春2音楽小説。(データベースより)

全3部作なのですが面白くて一気に読んだ。チェロという楽器はどうしてこうも胸を打ち魂を懐かしい気持ちにさせるのだろう。そういえば昔、前世が見えるという人に「あなたは昔チェロ奏者だった」と言われたことがある。それが本当かどうかはわからないけれど、ぼくはパブロ・カザルスのことを父のように尊敬しているからデタラメとは思えない

いつになったら弾けるようになるのだろう。四小節目まで弾けるようになっても、まだ五小節目が、六小節目が、七小節目が待っている。楽譜は頁をめくってもめくっても続き、たとえバッハの楽譜を、僕の一生が終わる前にめくり終えられたとしてもその次にはボッケリーニが、ベートーヴェンが、シューマンが、ラロが、ドビュッシーが、プロコフィエフが、プーランクが待っている。それなのに僕は、バッハのニ短調のクーラントが弾けずにいる。もうすぐ十八歳になる僕が。


クラシックの世界は専門外だけど、楽器がうまく弾けずに何度も挫折しそうになった経験はぼくにもある。もちろんいまも挫折しているけど。でも、ギターやっていて面白いのは最初は全く歯が立たなかったリフやフレーズが数ヶ月後にはなぜか弾けるようになっていること。もうダメだと諦めたときに天上から光が差すように


モーツァルトは1788年の六月に交響曲第三十九番を作り、七月に四十番を作り、八月に四十一番『ジュピター』を作った。それから死ぬまで三年間、交響曲を作らなかった。誰が『ジュピター』という別名で呼んだのかは判ってない。コンサートを開くために作ったらしいが、そのコンサートは開かれなかった。だから初演がいつだったかも判らない。モーツァルトがこの曲を、実際に耳で聴いたかどうかも判らない。この音楽はただここにある。この、僕たちの生きているところに。


『ジュピター』にはそういう事情があったなんて知らなかった。まるでサグラダファミリアの完成を目にすることはなかったガウディのような思いでモーツァルトは『ジュピター』を作ったのかもしれない

この小説は本当に面白いから映画化してくれないだろうか。たぶん叶わないだろう。ぼくが好きな作品は大抵は売れ線から外れたところにある。芥川賞の本を読んでも面白いけど心には響かない。ヒットチャートにランクインしている音楽を聴いていてもどこが良いのかわからない作品ばかり。だから、ぼくは古いものが好きだ。彼らとは話が合う

本書は高校生がクラシック音楽に打ち込むただの青春小説ではなく、メインとなるのは主人公の津島サトルとヴァイオリニストの南枝里子の切ない恋愛ストーリーである。そして、クラシック音楽の世界で成功するのは裕福な家庭に生まれなければ難しく、裕福な家庭に生まれても今度は才能がなければ大成しないと感じた。カエルが月に憧れても手が届かないように。ロミオとジュリエットの恋が叶わなかったように

この本のおかげでバッハの『ブランデンブルグ協奏曲第五番』と『BWV615』が大好きになった。最近、バッハの末裔と名乗るお笑い芸人がネットで話題になった。家が大金持ちでいまも月100万円の仕送りをしてもらっていると言っていたが、バッハ自身は決して裕福ではなく職人のように忙しく働いていた。偉大な作品は緩みきった環境からは生まれない。ピンと張った弦が美しい調べを奏でるように。


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