私は虚構が好きだ。 虚構は誰かが何かのために作り上げたものだ。 文学も音楽も劇も絵画も作品と呼ばれるもの全てが虚構であり、 私はそれらに救われ続けている。 そして、つくられた世界の中で私はひたすらに自分の居場所をつくっている。 「いのちの車窓から2」を読んだ。 正直に言って、私は心から救われた。 最終篇「いのちの車窓から」で源さんが語る “例の気分“を私も体験したことがある。 初めては保育園の年長の頃だったように思う。 自分が誰なのか。ここはどこか。何をしているのか。という
私は本当に無力だ 胸がひたすら苦しくなって 何かが溢れ出しそうなのを堪えながら 涙だけを流している豊かな日本のただの学生だ 最近ニュースは 能登地方のこと、ウクライナ侵攻、イスラエル情勢のことが毎日流れている この光景になんだか慣れてきているようで怖い もし今、 大雨で家ごと流されたら、 もし今、 ミサイルや原子爆弾が飛んできたら、 そして、死にきれず1人残されたら。 自分はきっと生きられないだろう。 死ぬよりも地獄を見るだろう。 そんな地獄にいる人がこの世には沢
どんな大人になりたいのか 私が今悩んでいることは全てここに帰着する。 どうしてこんなにも生きづらいのだろうか。 何が私を苦しめるのか。 それを考えると、結局は不安なのだと気づく。 今高2の私は、きっと自由なのだろう。 すでに社会に組み込まれた大人たちにとって思春期は自由だ。なんだってできる。 でもすごく孤独なんだ。 周りに家族や友達がいる。 気にかけてくれる大人や憧れる人もいる。 贅沢だとわかっていながら、今すぐここから逃げたくなる。 不自由なものを羨んでしまう。 そ