見出し画像

「死ぬこと」さえもゆるしあえるということ


とても好きな人がいる

その人のことが
なんで好きなのかとか
どのくらい好きなのかとか
そういうことはわからない

これまでたくさん経験してきた
情熱的で直感に訴えるような恋とは違って

「きっといつか別れるのだろうな
でも、それは今日じゃない」

なんて思いながら
積み重ねてきた日々を過ごしてきた中で
いつのまにか心の中の少なくはない部分に
彼女はしっかりと座っているようになった
そんな感じで

だけど、
2人で過ごしてきた思い出は
たくさんあるけど
未来も絶えず一緒にいたいとか
そんな事を思うわけではなくて
もう出会えたことで
すでに十分という感覚がある

「また会おう」と「もう会わなくても大丈夫」
の気持ちがどちらも同じくらいの
温かさで心の中を満たしていく
それが彼女という存在なのだ

全体的に
ぼんやりとして輪郭を持たず
上手く言葉にすることができないのが
わたしの彼女に対する愛情ではあるのだけど

わたしが彼女のことで
明確にここが好きって言える部分の1つに

彼女はわたしが死んでも
多分きっと悔やまないし驚かないし
何かを嘆くことはないだろう
ということだった

彼女は、
一定期間、定期的に音信不通になる
わたしに会うたびに
嬉しそうでも安堵してる感じでもなく
ただただ確認するべきことのひとつを
キチンと片付けた

ただそれだけのことのように
あっさりと
「今回も生きていたのね」
と言う。

それに対してわたしは何事もないように
「うん、生きていたね」と答える

それがここ最近の
わたし達の挨拶で
ひとつの儀式になっていた。

その彼女の言葉を聞く度にわたしは
きっとまた会えるだろう
とは思っていたけど
やっぱり会えてよかったんだなと
ほんのりとした歓びがこみあげてくる

生きることと死ぬことが
限りなく近い価値と可能性で
持っている人が
目の前にいてまた会えてるということに
なんとも言えない安心を抱くのだ

でも、わたしが彼女のことで
1番好きなのは
会ってる時の歓びよりも

もしもわたしが
何かがあったとして
あっさり今すぐに死んだとして
もう会えないということになったとしても

きっと彼女は少しため息をついて
呆れて少しは哀しみながらも
きっと諦めてくれるのではないか
と思う信頼にあった

わたしがどんな風に
生きていったとしても赦してくれる
わたしが生きてることすら
求めないでいてくれる

そのうえで
生きてまた会えたことを喜びあって
その一瞬を愉しんでいける

それは、
およそ所属欲なんてものを
全く持ち合わせてなく
どこかに根づいて生きるのが苦手なのに

いや、だからこそわたしを所属させたり
所有しようとする人が多かった
わたしの人生にとって
大きな救いで癒しで
たったひとつの信頼を作る要素だった


写真:空に青。さん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?