水木しげるの故郷は想像以上にゲゲゲ推し(下)【中国地方ローカル線紀行③】
水木しげるの故郷・鳥取県境港市に、「水木しげる記念館」がある。境港を訪れる人のほとんどはここに足を運ぶはずだ。水木の生い立ちや戦争体験、後年になり海外旅行で収集した民芸品(?)などの展示が充実している。もちろんゲゲゲの鬼太郎関連の展示もおもしろい。他都市からはあまりアクセスがいいとは言えないが、訪れる価値はある。私は青春18きっぷを使い、のんびり列車旅を楽しみなら京都→境港へ移動。1泊して、翌朝に記念館を訪れた。前回(下記)からの続きである。
今回の旅程。地図の⑦が境港だ。
これが海外で収集したものらしい。展示によると、戦争中従軍したニューギニアにはなんと15回も旅行している。アジアからヨーロッパ、南北アメリカにアフリカと、本当にあちこち行っているな。水木は『私はゲゲゲ 神秘家水木しげる伝』(角川文庫)で「ぼくは行けば必ず妖怪を何十匹か トランクに入れて持ち帰った むしろ妖怪の方が入ってくる感じなのだ」と振り返っている。
愛用のカメラやパスポートも陳列していた。本名・武良茂。水木の生い立ちのほか、昔日の写真などの展示も数多くあった。ゲゲゲの鬼太郎よりも戦場体験に基づく戦記物の方が好きなので、こういう展示は興味深かった。
記念館ができたのは2003年。前掲書によると、翌2004年から2年間にわたり「大水木しげる展」が開かれた。そのために長さ10メートルにも及ぶ人生絵巻を描いたという。その絵巻、見たはずなのだが写真が残っていない。恐らく撮影禁止だったのかも。
仕事部屋を再現したコーナー。なるほどこんな感じの部屋で仕事をしていたのか。水木は戦争中、爆撃に遭って左手を失っている。
「成人病予防のために…塩からい食事をしない! 水分を補給する。」と書いてあるのがおかしい。水木の字ではなさそうに見える。漫画にもしばしば出てくる娘さんが書いたのだろうか。右手の「鬼太郎 東映」は水木の字っぽい。
もちろん、鬼太郎関係もたくさんある。子なきじじいの特技がしゃっくりとは知りませんでした。ファミコンソフトのゲゲゲの鬼太郎も飾ってあった。懐かしいな、はっきり言ってクソゲーだったけど。
水木オールスターズ。2022年が生誕100周年だ。
苦言を呈したい点もあった。コロナ対策で入場には整理券を配って一度に入る人数と時間を制限していた。それはいいのだが、整理券で入場を指定された時間になってから切符を購入する仕組みのため、並んで切符を買う間にかなり時間をロスする。整理券を配布すると同時に切符を購入させ、追って時間になったら入場するようにすればいいと思うのだが…。そうすればもっとスムーズのはずだ。
そして、見学時間の45分制限。感染対策をしつつ人数制限をするには仕方ないのかもしれないが、充実した展示だけにこの時間では足りない。急かされるように見て回らねばならず、これは残念であった。
記念館近くの路傍には「水木しげるが幼少を過ごした地」の碑も。説明がないので分からないが、この辺に生家があったのだろうか? 目の前は境水道で、彼の自伝的漫画にはそうした情景がしばしば描かれている。
惜しむらくは境港の街全体が、ゲゲゲに偏りすぎている点だろうか。画面奥に悪魔くんの解説がある。ゲゲゲ以外の作品ももっと推してもいいのでは!
ところで旅には付き物の飯の話。港町だから魚はうまい。小さい街だから店は多くないが、うろうろした挙句、観光案内図か何かに載っていた店に入ったら当たりだった。
同じ店のじゃこめしにぎり。これがまったく意外な伏兵で、刺身や海鮮丼より印象に残っている。じゃこの味がごはんにしみて、だいぶおなかいっぱいになっていたのにぺろりだった。
水木しげるロードにあった喫茶店で食べたモーニング。コーヒーにトースト、オムレツにサラダで十分な内容。600円。ホテルの高い朝飯よりずっといい。客も少なく、地元の日本海新聞なんかを読みながらゆっくり食べた。くつろいだ気分だった。
境水道を挟み、島根半島側から境港を見る。夏の暑い日だった。橋がかっこいい。
境港を離れるときに乗ったのはねこ娘列車だった。かわゆい。
<中国地方ローカル線紀行④に続く>
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※旅行は2022年8月。
※全ての写真は筆者撮影です。カメラはニコンD700、レンズはタムロン24-70ミリF2・8