noteはじめました

ネット上に公開設定でものを書くというのはドキドキします。それでも書こうと思ったきっかけは,マニアックかもしれませんが,フェイスブックの「最高裁」こと監督委員会が開かれるというニュースでした。

これは,フェイスブックが独立の監督委員会をもうけて,コンテンツについて削除すべきかどうかを判断させたり,さらにはコミュニティガイドラインの在り方についての提言をさせたりしようというものです。

最大手の一角をなすSNSが,自前でコンテンツに関して独立委員会を開くというのはなかなかに面白い試みではないでしょうか。日本のBPOしかり,表現のプラットフォームが,表現の内容について,自主的にせよ,いい悪いを決めるというのは,とても難しい試みで,放置しても介入しても批判が尽きないものです。でも,試みるということは,尊いことだと思います。私も書きながら学びたい,というふうに思うようになりました。

今日は手始めに,自己紹介から。

2009年弁護士登録,2015年に南カルフォルニア大学へ留学して,エンターテインメントローと法教育を学んできました。

イメージ先行でキラキラに響くエンターテインメントローと,公益活動色の強い法教育。ばらばらにみえるこの2つ関心事が留学経験を通じて,だんだんとつながってきました。留学制度のない小さな事務所から,結婚後の留学。ツッコミどころ満載な留学から帰国して数年。あれは,人生の転機だった,と思います。

留学中の授業で最も記憶に残っている授業の一つ,IP Law(知的財産法)初回のこと。話は,憲法から始まったのです。それもそのはず,アメリカでは,連邦政府の権限で立法できる事項が憲法に記されており,憲法により知財立法する権限が与えられているからです。そしてもう一つ。Entertainment Lawの授業の冒頭で,表現の自由を言及されたとき。

そうか,私たち人間は,表現して,伝え合って,伝えそびれて,傷つけあって,譲り合って,受け取って,感動して,また表現する,そういう生き物なんだ,と思いました。そういう社会的な生き物だからこそ,常にぶつかりあって,それを調整するためのルールが必要になる。

法教育でも,価値観や立場や利害関係や認識している事実が異なる人が集まる社会で,人は生きている,だからルールが必要だし,そのルールと上手に付き合う必要があるんだという話をしてきました。

21世紀,誰しもが当たり前にインターネットを使う時代。数十年前には考えられなかったくらい遠い人とインターネット上で接触しながら生きています。その中で,私たちはどう生きていくのか。不良法学部生だった昔の自分を思い出して,遅まきながら,生涯一法学徒なのだと気づきました。

これまで一般に公開する発信に対しては慎重だったのですが,フェイスブックの新たな試みを前に,私も発信しながら学ぶ仲間入りを果たすべく,noteをはじめることにしました。

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