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13年連れ添ったパートナーとお別れ。

13年連れ添ったパートナーと別れた。

結婚制度がないリージョンでの出会いと生活だったので、ワタクシ達は結婚をしていない。ただ、13年というのはやはりチョットした長さの時間だし、ワタクシの香港生活のほぼ初めから終わりまで連れ添ってくれた相手なので、それはそれはダメージが大きかった。

そもそもこの関係、交際して5年目にワタクシは完璧に恋愛感情をなくし、それでもただただ変わらず同じ温度感でワタクシを大事に扱ってくれる相手をありがたい存在だと思っていたし、信頼している相手だと思っていた。だから、恋人じゃなくて家族になったんだなぁと思っていた。何かあれば、意見交換という面では…結構トンチンカンな事を言うため、全くあてにならない相手だったが、母が病気を患い緊急帰国しなければいけない時や、盗難被害にあってお金を盗まれたとき、何も言わず、すっとまとまった金額を差し出してくれる…そんなやさしさと頼りがいを持っている人だった。

大変な時を助けてくれて、世界中のいろんなところに旅行に連れて行ってくれた(連れて行ったのはワタクシで、費用を出したのは彼)。楽しい思い出も感謝の思い出も…イライラした思い出も13年の中にたくさん詰まっている。

彼は変わらない日常をずっと続けていきたいタイプの人間で、生まれ育った場所で、子供の時から大人になっても同じ人たちに囲まれノンビリするのが好きな人だった。

ワタクシは、子供のころから大人になるまで20回近く引越しをし続け、何なら国もまたいで引越しを5回もしている。幼馴染なんていないし、一番古い友人でも大学時代の友人が数名いる程度。

香港に移住したときに「香港で暮らしを確立して、安定した暮らしがしたい」と思っていたワタクシと彼は、同じページにいた。しかし、仕事を変え、見る世界を変え、新たな挑戦をし、目標を持ち始めたワタクシと、変わらぬ日常を大事にしたい彼の間には明らかに歩調の違いを感じ始めた。

ただ、昨日と同じように愛し続けてくれる相手を感謝せずにはいられなかったし、自分から終わらせることもできなかったけれど、自分が相手にもとめるものの像から彼はどんどん外れて行ってしまった。

「いつかは関係を終わらせなければいけない」

そんな風に最初に思ったのは実は今をさかのぼること、もう6年前。
その時に知り合い、仲を深め、色んな刺激を貰った人達の中で、「こういう人がパートナーだったらよかったのになぁ」などと思う事が増えてきて、ただ、しかし、ひたすら優しく愛してくれるパートナーとの関係を自分から終わらせる事は出来なかった。

…彼もキットどこかでワタクシが変わってしまったことを気が付いた節があったはずだと思う。それまで香港に対して、中華の文化に対して、興味をもって、彼にあれこれ聞いていたワタクシが、露骨にそれらを遮断して、何なら目に入れたくない、聞き入れたくないアレルギー状態になったこともあった。しかし、そんな態度を見ても何も態度を変えないでいてくれた彼。
…彼も自ら終りにすることが出来ないタイプなのだろうなぁと思った。

そして、2年前、初めてシドニー行きの話が出たとき「これはとうとう伝えなきゃいけないときなんだろうな」と思った。しかし臆病なワタクシは「シドニーに異動の話が出てる」という事を伝えるだけで相当重荷だった。仲の良い友人には散々伝えてきたのに、当のパートナーに言うのには時間がかかり「い、いや、実際に具体的に決定してから伝えよう」などと先延ばしにしていた。ゆえにそこでも別れ話をすることは出来なかった。

ただただ、凄く悲しそうなのに、できるだけワタクシのために喜んであげようとする姿勢に涙をしてしまったワタクシ。その日連れて行ってくれたJazz barで歌手の方がUnforgettableを唄ったのは永遠に忘れられない。

…別れようとしているのはこのワタクシのわがままで、ワタクシが彼を悲しませている側なのに、どうしてこっちが悲しくなるのか全く持って我ながら疑問である。

そして、ついにVISAがおり、移住する日も決まったころ、彼は隠れて泣くようになった。そんな姿を見せまいと心がけていたんだろうなぁと思うその姿勢が、余計にワタクシを悲しませ、ついにワタクシも泣くように…。

いつしか「どうやったらこの人を最大限悲しませずに関係を終りにすることが出来るだろうか」などという身勝手極まりない事を思うようになり、最後の方にすら「VISAは2年間なんだから、留学みたいなものだよ」と謎の励ましをし旅立ったワタクシ。チャンスがあれば永住を狙っているなどと…口が裂けても言えずに、。

彼は最後の最後まで、そしてシドニーに着いてからも、ずっと優しいままだった。きっとこんな風に何の刺激もなく、ダラダラと昨日と同じ今日を続けていくのだろう‥でも、どんな風に終わらせるのか…とりあえずは目の前にいないし、きっと数年後、、、VISAの更新の折にでも…

…などと、これまでしてきたように、更に先延ばしにしようとするワタクシ。

ところが、先日、思いがけず、彼の方から長文のメッセージが届く。

ロクに文章を組み立てもしないで単語だけで話しかけてくる彼が、チャントした文章を書き伝えてきたその内容は、遠距離でもやっていけると思ったけれど、自分のそばで一緒に寄り添っていてくれる人が欲しいと言う。そして、いかにこれを言うのが難しかったか、直接言えなかった理由や、メッセージで伝えてしまったことを許してほしいという事を伝えてきた。

彼は自分から前進したり変化させようとはしない人だし、変化しようとするワタクシですら別れ話は切り出せなかったので、いかにこれが彼にとって大変な決断だったか理解できたワタクシ。

なんなら、最後の最後までワタクシがやりたがらないことを代わりにやってくれたんじゃないかとすら思った次第である。

ある日突然やってきてしまった、「いつか来るでろあろうその日」を迎え、咄嗟にこれまでの素晴らしい思い出が走馬灯のようによみがえり、いろんな思いが脳裏をよぎる。

ただ、この期に及び、「よりを戻して一生添い遂げる」という選択肢と「別れる」という選択肢を目の前にした時、シンプルに「別れを選ぶ」という選択肢を選んだのかというと、そうではなく、ただ、「一生添い遂げる」という誓いの選択肢を、ワタクシは選ぶことが出来なかったのである。

今まで一度も別れ話を切り出してこなかった相手…しかし、これが彼のタイミングで、彼の中で心の整理が出来たから伝えてきたのだろうと思う。
(あるいは我慢の限界だったのか。)ワタクシのタイミングではなく、彼が選んだタイミングでそれに応じる事は、彼に対し、一番ダメージを少なくしてあげられることなんじゃないか…

そう思い、ただ、シンプルに13年間の感謝の気持ちと、自分の至らなさ、彼が与えてくれる事と同等の恩返しができなかったことについての謝罪をつたえ、「彼の選択肢」を尊重することで関係を終わらせたワタクシ。

別れを先に意識したのも、どうやって終わらせようか考え始めたのも彼よりよっぽど早かったワタクシであるが、どれだけ猶予期間があっても、死別と同じくらいのダメージに見舞われ、まだこの慣れないオーストラリアの地で、あらためて独りぼっちになった気がした夜、改めてこの街での暮らしを仕切り直し、新しい人生を歩んでいく事を決心した次第である。

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