見出し画像

ジロリンタン備忘録220110

虎の色は黄色ではなく・・・

 NHKの『ダーウィンが来た!』を観ていたら、虎の色は黄色ではなく、オレンジ色なんだって。黄色は明るすぎて、獲物の鹿にすぐ見つかるらしい。濃いオレンジ色なら、葉っぱの緑と同じ暗さなので、獲物に見つからないのだ。そうそう、獲物は色が区別できなくて、モノクロで見えるからなのだ。ちょうど、フットボールのシンシナティー・ベンガルズの色だ。
 今年のタイガーのスケッチはあまりうまくなかったなあ。12年前は、『ドラゴン・タトゥーの女』という小説が話題になっていたので、「タイガー・タトゥーの女」と称して、年賀状に上半身裸の女性の後ろ姿にタイガーのハンコを押したんだっけ。そして、結局、「タイガー・タトゥーの女」というジョー・ヴェニスものの短編を今は亡き『ミステリーズ!』に発表して、そのあと『残酷なチョコレート』というヴェニス作品集(東京創元社、2013年刊)に収録されたんだっけ。
 今年は虎の顔を描いたまではよかったが、名前を「虎田大雅(たいが)」にしたが、いいセリフが出てこない。結局、セリフなしの顔だけになってしまったよ。
 今年は電子メールで年賀状を出すことに決めたが、メールアドレスの持ってないか、知らない人には印刷版を出すことにした。つまり、メール版と印刷版の年賀状を出す人のリストを別々に2つ作成することになって、結局、余計にややこしくなった。来年は再検討してみよう。

 先週の日曜日は、焦点を作った立川談志の半生記をTVドラマ化していたね。談志役の駿河太郎(笑福亭鶴瓶の息子)はなかなかキザな談志を好演してたね。
 おれの現実の談志に対する感情は複雑だ。話は55年ほど前に遡る。
 その頃、兄貴が大学の卒業論文で「笑いの美」として、落語の笑いの美を取り上げていた。おれはその資料として、TVやラジオの落語番組を調べて(当時は毎日のように放送していたのだ)、録音した。その頃の録音テープはリール・テープなのだ。おれは分厚い『落語全集』を4巻読んだし、『醒睡笑』も読んだし、談志の『現代落語論』も読んだ。志ん生、文楽、円生、志ん朝、馬生、円楽、談志、柳朝など名人、中堅、若手の落語をかなり聞いていた。
 関西において、あの頃は千日前デパート(火災の前)の8階あたりの千日劇場で、上方落語家の大喜利も観たことがある。でも、顔に墨を塗る(たぶんすぐ墨が落ちるように水性だろうね)よりも、「笑点」のように座布団のほうが後始末が楽だよね。その頃の談志はキザなところが若い中学生や高校生に受けなかった。しかし、おれは関西であまり受けない談志を陰で応援していた。東京へ行ったときは、談志落語会に立ち見で行ったっけ(会場の名前は忘れた)。
 高校の上級生送別会でおれが演じた「お血脈」はほとんど談志の真似だった。そして、「金曜寄席」が金曜日の夜に放送されていたときはずっと観ていた。談志がずっと司会を務めていたことは覚えているが、そのあと談志がやめて、三波伸介に代わったのは知らなかったなあ。たぶん、おれがアメリカへ行ったからだろうな。
 そして、13年して日本に戻ると、談志はたいして進歩していなかった。むしろ、無駄なコメントが多い。これは談志自身も気づいていることだと思う。落語家が評論家のように、落語の良さを語るものではない。芸で示せばいいのだ。談志は元国会議員先生になり、偉くなりすぎた。
 談志か志ん朝のどちらが好きかと問われれば、志ん朝と答えるね。やっぱり、江戸の粋を語らずに、体や芸で見せているところが好きだ。談志は江戸の粋を捨ててしまった。だから、おれは談志の落語を聞かなくなったのだ。もしくは、昔の「芝浜」のほうが好きなのは、それを聞いていたときの若い自分が好きだからなのか?
 あのTVドラマでは語っていなかったが、志ん朝は志ん生の息子だが、林家正蔵(のちの彦六)のところで修行している。談志が志ん朝に嫉妬しているところが面白かった。でも、談志と先代林家三平があれほど仲がよかったとは知らなかったなあ。そこは感動的だった。

 おれが落語のことを書くのは、これが最後になるかな。
// 


文章を売るのが商売なので、金銭的な支援をしてくださると嬉しいですが、noteの支援方法が面倒なので、ネット書店でガムシュー・プレス刊か扶桑社ブックス刊の木村二郎著書を購入していただくほうが簡単で、大いに助かります。もしくは、「スキ」をたくさんください。よろしくね。