見出し画像

読書は手すりでも命綱でもなく

人によって様々な読書スタイルがある。年に数百冊読む人に昔は憧れたが、そのスタイルは尊敬には値すれど、自分には合わなかった。人によって、本を読むという行為は救いである人もいれば、踏み台である人もいる。手すりのように使う人もいれば、命綱である人もいる。

自分にとっての読書というのがどういうものか最近になってやっと気づいた。1つの攻略本を読むみたいな感じなんだよ。

このスタイルの人は少なからずいるだろうし、そういう人たちにとっては自分のスタイルに早く気づくことが今後の人生の楽しさを加速させるだろうから、気づいたことをここに書き記そうと思う。

普段からいろんな事を考えていると、あ、この概念はよく見るやつやね、とか、この考え方はかなり手に馴染んできたな、とか、まるでRPGのマップを探検するように見知ったところが増えていく。

拠点の近くやセーブポイント近くは馴染みの光景だし、遠くのマップはあまり探索したことがない。新しいエリアを探索していくと、途中ではしごがないと届かない洞窟とか、橋がないと渡れない川のようなものにぶち当たる。

ちょっと気になることもあるけど、別にそこに宝が眠っているとか、倒すとアイテムを落とす中ボスがいるとか、そういう確信はない。だから普段の思索という名前の散策だと、それは単なる背景として通り過ぎてしまう。

でも本を読むと、たまに気づくんだ。あ、この本ははしごになるぞ、と。全然関係ないことを考えながら本を読んでいた時に、ふとこの本のここの考え方は、あの時スルーした問題を解決できそうだなと。あるいは今まで迂回していた川を渡る橋になりそうだな、と。

でもハシゴを探して本を読む事はあまりない。いわゆるハウツー本や自己啓発本はそういう即効性の「ハシゴ」になることをうたっているけど、すぐ役に立つものは、役に立つ範囲が狭く、そしてすぐ役に立たなくなる。

むしろそういったビジネス書なんかより、小説が偉大な気づきや導きを与えてくれることの方が多い。今振り返ってみて自分でも驚いたけど、人生を変えた3冊の本を挙げようとすると3つとも小説だった。自己啓発書ではないんだ。

そして一方で、手当たり次第本だけ読んでもハシゴや橋が手元にあるだけでは物足りない。自分は道具屋になりたいんじゃなくて、旅人になりたいんだ。

さまざまな道具を取り揃えて、尋ねてくる旅人に便利な道具を紹介する賢者も立派だけど、やはり楽しさという点では、自分の足で歩いて、そして自分の足では届かないところをみつけてそこでハシゴを使う方がずっと楽しい。

だから自分の中では、独立した一つの「読書体験」というものはあまりないんだ。生活や経験、思索、時には冒険の中に、「あ!これ赤ペン先生でやったやつだ!」という読書の記憶が出てきたり、あるいは逆に、本を読みながら、「あ!これがあの時の疑問を解決してくれる答えだ」みたいなものを見出したりする。読書は常に経験とともにあるんだ。

寺山修司じゃないけれど、「書を捨てよ、町へ出よう」、じゃあないんだよ。

町から出よう、書を開こう、だ。


よろしければサポートをお願いします。主として生活の再建と研究の継続のためにありがたく使用させていただきます。また記事にて報告とお礼いたします。