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最前線の看護師たち

(以下は、4月28日付『ニューヨーク・タイムズ』にジェニー・グロス記者が執筆した記事の抄訳です。写真は訳者が追加したものです。Hundreds of Miles From Home, Nurses Fight Coronavirus on New York’s Front LinesThe New York Times, 2020.4.28)

 毎日夕暮れどきになると、人の姿が見えなくなったはずのタイムズ・スクエアに、青い作業着を身につけた人々が何百人も集まってくる。これから市内各地の病院へバスで運ばれてゆく看護師たちだ。

彼らはニューヨークの病院をサポートするため全米各地から集まってきた。マンハッタンの中心部ミッドタウンには、そのうち4000人を越す看護師たちが宿泊している。日が昇っているあいだ、彼らはホテルの部屋で眠りに落ちる。ホテルの周囲には、灯りの消えたブロードウェイの看板や人の歩いていない道路、封鎖された商店群があるだけだ。夜になると彼らは起き出し、病院へと向かう。そして騒然とした病院の通路で、錯乱した患者と対面し、多くの死に立ち会うのである。

「あんなにたくさんの具合の悪い患者を見たことはありません」。ダラスから来た40代の看護師、タマラ・ウィリアムズはそう言う。「どれほど手をつくしても、死んでしまうんです」。

 ここ数週間ほど感染による死者数は減少をつづけているが、いまもコロナウィルスは終息には程遠い。アメリカで最も被害の大きかったニューヨーク州の新規入院患者数は、4月上旬の1日あたり3000人超から低下してきたものの、それでもなお1日に1000人と高止まりしている(★訳注)。

 ニューヨーク州外から派遣されてきた看護師たちは、病院で働く人々が休養を取るとき、また疲労で倒れたりしたときのための生命線だ。中には初めてニューヨークに来た看護師もいる。彼らは苦境にある仲間を助けたい一心でここにやってきたが、同時に、家族と何百マイルも離れた場所で、あまりに多くの死を目の当たりにする苦しさと戦っている。

ウィリアムズ看護師は、大混乱するニューヨークの病院の光景をTVニュースで見て、このまま家にいることはできないと感じたという。「とてもそんな気にはなれませんでした」と彼女は話す。ニューヨーク行きに反対する親族もいたが、彼女はそのまま荷造りをして、夫と8歳の息子に別れを告げてやってきた。

しかしマンハッタンのベルビュー医療センターで最初の1週間を過ごすうち、自分が正しい選択をしたのかどうか何度も自問することになった。彼女はつねに冷静沈着だが、初めて集中治療室に足を踏み入れたとき、見たこともない数の患者たちが何の手当ても施されず放置されている光景に遭遇して、身の震えが止まらなくなったという。日ごとに自分の子供が恋しくなる。同僚の看護師が感染すると、つねに自分もウィルスにさらされているのだという恐怖を改めて突きつけられる。

数日前、ウィリアムズ看護師は病院の通路の隅で、同僚たちが肩を寄せ合ってむせび泣いているのを見た。治療を続けていたCOVID-19感染患者が死亡したのだ。「みんなその患者のために必死で働いていましたから。田舎に残してきた家族の姿が頭に浮かびます」と言ったとたん、彼女の目にも涙があふれ出す。

ヘザー・スミス看護師は、ノースカロライナ州沖合のトップセール島からやってきた。彼女が通うクイーンズ区のエルムハースト医療センターは、とくに多くの患者が命を落としている場所だ。彼女は、彼らを助けるために何か別のことができなかったのかを悔い、こう自問する日々が続いている。「同じことをさらにもう1日経験しても耐えられるの? 私はどうしてここにいるの?」。

また別の看護師、サンディエゴから来た24歳のマギー・スコット看護師。彼女はたった一晩の勤務で三度も、危篤の感染患者と家族のために携帯電話での通話をアレンジしなければならなかった(注:感染患者とは直接の面会が禁止されているため)。アーカンソー州から来た、モリー・ティーター看護師。死亡患者の遺体が、安置所に使われている冷蔵トラックへ運び出されるまで、何時間も病室に放置されていることがあるのだという。

ニューヨーク州でクオモ知事のCOVID-19対応を支える一人、ニューヨーク州立大学エンパイア・ステート校のジム・マラトラス学長によれば、全米各地の看護師たちが次々にニューヨークへ応援に来たことで、ようやく市内の病院は一息つくことができた。働き続けだった医療従事者たちが交代制に戻れたのは、彼らのおかげだ。

また医療者ネットワーク団体ノースウェル・ヘルスのジョセフ・モスコラ上級副代表によると、この団体が市内23の病院に派遣した500人ほどの看護師たちの出身地は、アメリカ国内50州ほぼすべてに広がっている。この看護師たちはきわめて貴重な存在で、「(ニューヨークの病院に)新しいエネルギーを注ぎ込んでくれました」と彼は話す。しかしもはや彼らも疲弊しきっている。

(中略)

 南部ジョージア州のフォート・ヴァレーから来た49歳の看護師シャメカ・ダガーは、6人の子供の母親だ。子供たちにしばらく家を空けると説明したとき、7歳の子は「ママはユニコーン・スーパーヒーロー(注:人気アニメ番組の主人公)になるんだね!」と言ってくれた。「私がヒーローなんてね、と思いました」。

ダガー看護師にとってはこれが初めてのニューヨークだ。ずっと見たいと思っていたエンパイア・ステートビル、マディソン・スクエアガーデン、セントラル・パーク。しかしどれも今は、映画で憧れていたような魅力的な場所ではまるでない。今の勤務先であるブロンクスのジャコビ医療センターへ向かうとき、彼女はゴスペルを流して、ニューヨークのために深い祈りをささげる。「とても恐ろしいから。みんなそうだと思います」。

明るい知らせもある。先週日曜日には、三人の患者が人工呼吸器を取り外すところまで回復した。そういう患者が出るたびに、病院内ではレイチェル・プラッテンのヒット曲「ファイト・ソング」が大音量で流れるのだという。「でも、それをきくと涙がこぼれるんです」と彼女は話す。「ひどく心をゆさぶられてしまって」。

いま彼女がひどく恋しいのは、まず子供たちをしっかり抱き寄せること、そして彼らに南部の郷土料理を作ってやることだ。フライドチキン、コラードグリーン、コーンブレッドを使った自慢の料理だ。

しかしまだその時ではない。「すべてが終わるまでこの場所を離れることはできません」と彼女は話す。「ここにとどまるのが私の仕事ですから」。

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★訳注:記事公開時点での数字。5月10日時点では1日あたり500人超まで減少している。

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(マンハッタン中心部で医療従事者たちを送迎するバス。5月6日撮影)