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ぼっちちゃんの意地と意志、俺の諦観と自我【ぼっち・ざ・ろっく!】

前置き
アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」のネタバレを含むので未視聴の方は履修してからご覧することを推奨します。
アマプラでもネトフリでも見れます。
むしろ面白いアニメだから見ろ。

ども。じゃくしゃです。

外はめちゃくちゃ寒いけど、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
僕は、いつも通り引きこもってたらアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」に沼って、原作5巻まとめ買いしました。幸せです。

ということで今回はぼざろ感想雑記回。

知らない人のために説明すると、「ぼっち・ざ・ろっく!」は、

ギターが趣味のコミュ障陰キャ承認欲求モンスターこと後藤ひとり(通称ぼっちちゃん)は、ひょんなことから"結束バンド"というバンドのメンバーになることになり...!?

みたいな、まぁありきたりと言えばありきたりなテーマのロックで陰キャな青春アニメです。

それでも感想書きたくなったのはなぜかというと、主人公のぼっちちゃんと自分の共通点と相違点に考えさせられるものがあったからなんですよね。

ということで今日はその辺の話をしていきます。

ってわけでほんへ。

ぼっちちゃんの自己肯定感は低い

作品を見ればわかる通り、ぼっちちゃんは自分に自信のない子です。

完熟マンゴーの段ボールをかぶらないとステージに立てない
ステージで前を向けない
バンドメンバーからちょっとでもダメ出しを食らうとプランクトン後藤になってしまう

その他日常パートでも事あるごとにぼっちちゃんの自信のなさは散見されます。

ココは自分とすごく似ているところです。
僕も自己肯定感の低さにだけは自信があります。

こうして文章で表現するのが好きなのも、実は、喋る・歌うみたいな表現方法より滑ったときの反応がなく(薄く)て怖くないからなんです。

そういう背景もあって、ギターヒーローとして、ステージに立つことなくネット上だけでレスポンスを受けることができる表現方法を取っていたぼっちちゃんにすごく親近感が湧きました。

逆に、記事にいいねがつくと嬉しいし、いいねが付かなくなると「いいねをもらうためにはどうするのがいいだろう」って思いながら記事を書く僕も大概ぼっちちゃんみたいな承認欲求の怪物なんですかね。

ぼっちちゃんはノリがわからない

人前に立つとクソ寒いネタをする
人を家に呼ぶだけなのに無駄に張り切って空回り

なんか見覚えのある光景ばかりで見ていられませんでした。
しかも、こういう子ってノるべき場面ではノれないんですよね…
(´・д・`)ワカルワァ
みんななんでそんな空気が読めるんだろう。
なんだろうな、空気に正しいノリが文字で書いてでもあるんでしょうか?

僕も中学時代まで本当に空気を読むのが苦手で、2年の後半からはずっと教室で本読んでるちょっと浮いた子でした。
それこそぼっちちゃんみたいな。
高校生になっても、人と最低限喋れるようにこそなったものの、ずっと苦手意識を拭えずに結局1人で過ごすことが多かったのを覚えています。

ぼっちちゃんには意志がある

そんなよくあるコミュ障陰キャなぼっちちゃんですが、そこらのモブコミュ障陰キャ代表ことじゃくしゃとは決定的に違う点が一つだけあります。

それは「確固たる意志を持って行動しているかどうか」。
意志、あるいは意地、反骨心とも形容できるでしょうか。

結局成長って何か、わからなかった。
でも今私は、この4人でチヤホヤされて、バンドをし続けたい。
虹夏ちゃんの本当の夢を叶えてあげたい。
だから、こんなオーディションなんかで落ちる訳にはいかない。
このまま、バンド終わらせたくない!

#5飛べない魚

私たち、演奏も曲もまだまだだ…
けど!
このままじゃ嫌だ!!!

#8 ぼっち・ざ・ろっく

結束バンドでバンドをし続けたい。
初めてのライブを失敗で終わりたくない。

このままで終わりたくない。

ぼっちちゃんの強烈な思いは、その熱は、ギターの響きを通してメンバーに伝播します。
そしてその熱もまた、演奏を通して星歌さんや観客にまで伝播し、ライブハウス全体を包み込んでいきます。

人の感情というのは不思議な力を持っているもので、強い思いが込められた行動は往々にして人の心を動かします。
あるいは、物事の結果すらも変えてしまえるほどに強烈な力を持っています。

諦観と無自我の中に生きる僕

そんなぼっちちゃんと対照的に、僕は、意志もなくただその場を漂うように生きてきました。

まぁいいや。
仕方ない。
まぁこんなもんだよな。
俺には向いてないんだろう。
できるわけがない。

現状に反抗することなんてしてこなかった。
ただそういうものであるのだと、割り切って受け入れながら生きてきた。
上手くいかなくても、できないのだから仕方ないだろうと諦観の中に生きてきた。

ただ与えられた物の中でできることだけをやって生きてきた。

ぼっちちゃんが結束バンドを、みんなを動かした反骨心は僕には全く存在していないのないものでした。

いや、”今は”存在しないものです。

きっと、僕は失敗に臆病過ぎるのでしょう。
少しでも上手くいかなかったからといって、不貞腐れて逃げて、後ろ指指されるのが怖くて行動を起こさなくなりました。
そのうち、自分が行動すれば何かが変わるかもしれないのに、「どうせ上手くいかない」と、怖いことから逃げることを合理化するようになります。

無理だ、できるわけがないと逃げ続けたその先に待っているのは無気力と無自我だけです。

どうせなにをやってもできないんだから、足掻くだけ無駄だ。

いつからかはよく覚えていないけど、気付いたら無意識にそういう行動を取るようになりました。

推しその1 星歌店長

僕に足りないのは"負けん気"でした

前回の記事でも触れてるんですけど、僕、実はずっと「何かに熱中する」ことに飢えていました。

何をしてもすぐに心がしおれる。
やりたいことのはずなのに、苦しくなる。

なにが足りなかったんだろう、なにが違うんだろう。

ずっと悩みながら、そのヒントを求めるかのようにぼっちちゃんを見続けていました。

すると、自分たちの"思い"を胸にギターを爪弾くぼっちちゃんは、僕に1つの答えを示してくれたんです。

僕に足りないのは、負けん気でした。

友達が俺より強くても、まぁそうだよねって折れる。
知らない誰かが戦っていても、すげぇって思うだけ。
自分はこんなにも無気力でだらしないのに、そんな自分に本気で怒れない。悔しいと思えない。その程度の人間なんだって諦めてしまう。

そんな僕だからこそ、結束バンドのギタリストとして戦うぼっちちゃんがとてもかっこよくて、眩しく見えました。

負けん気の強い友人と、負けず嫌いだったかつての自分

僕の友人に、人一倍負けん気の強い子がいます。

ゲームに負けたら本気で悔しがるし、負けず嫌い過ぎて周りを苦笑させてしまうこともありました。

でも、僕はその時の彼のことをとても羨ましく思っていました。

何かに本気になって、本気で悔しがれるのは僕にとってなかなかできることではなかったからです。

彼もまた、ぼっちちゃんと同様に僕にとって眩しい存在に違いありません。

ところで、実は僕、こう見えても昔は彼同様に極度の負けず嫌いだったんです。

でも、それが祟って周囲との衝突が絶えず、人間関係の問題を常に抱えていました。

それが、年齢を少しずつ重ねる中で、他者との諍いを避けるようになり、自分の中の嫉妬心や闘争心を意図的に見せないようにしてたんですよね…
そうしたら露骨にトラブルが減ったから。
実際、人間関係を円満にするためにはそうするのが最善でした。

どんくさくてもいい。トロくてもいい。誰かに笑われることで平穏が保たれるならそれでもいい。
ミスしてもヘラヘラ笑って、笑いに変えればそれでいいじゃん。
誰にも嫌われないし、自分の負けん気とかくだらないプライドとかそういうしょーもないもので大事な友達を傷つけなくて済むんだからそれでいい。
結構本気でそう思ってました。

意図して封印してるうちに本当に負けん気が失われてしまったんでしょうか?
気付いたら、何にも本気になれなくなっていました。

本心から、諍いがないからそれでいいのだと思うようになりました。

でも、かつての自分がまた少しずつ目覚めてきているのか、自分の現状になぜか納得がいかなくてずっともやもやしてたんです。
本当にずっと理由がわからなかったんですけど、ぼっちちゃんの熱い思いが答えをくれたような気がします。

閑話休題。

とにかく、僕になくてぼっちちゃんにあるものは"思い"なんです。

思いがないから自分を変えられないし、周りも変えられない。

「ぼっちちゃんが書く歌詞が明るくなってて成長を感じる」などと抜かしている場合ではないんです。

ぼっちちゃんを見守る暇があるなら、その前に自分が変わらなければならない。

ぼっちちゃんに負けてられないんだ!

...と思いつつ、「どうやったら負けん気が出るんだ?」と困惑している自分もいます。

使ってなさすぎて使い方が分からなくなっちゃいました。

次は、「どうやったら負けたくない!って思えるんだろう?」を考えなきゃですね。

というわけで〆に一言。

ぼっち・ざ・ろっく! サイコー!!!!!

そんな感じで。
乙。

推しその2 きくり姐

おまけ

無料記事だから多分耐えてると思うけどサムネも画像も思いっきり公式動画から引っ張ってきてるからワンチャン記事ごと消えます、消えたら察してください

おまけ2

百合アニメ、沼すぎて現実に戻れなくなる…
ぼ喜多てぇてぇ…

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