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苦くて酸っぱい少年野球時代の話をしようか。【雑談】

ご無沙汰です。じゃくしゃです。
じゃくしゃの歴史シリーズ第二弾、プロ野球の記事見てたら少年野球の記憶がフラッシュバックしてきたのでネタとして昇華します。

僕が6年生の時の話です。
野球もあんまりうまくなかったけど6年になってやっとレギュラーを獲得し、試合に出られるようになったのがうれしくて張り切りまくってた頃。
この年、僕らのチームは学童(少年野球で一番大きい大会)で県大会に進出。十数年ぶりの県大会出場ということで指導者や父兄まで大盛り上がりしています。
僕も、当日は打てるかなとか緊張しまくりで夜は全く眠れず。そんなこんなで県大会の一回戦、当日になりました。寝不足気味の僕は、キャプテンの集合の合図で眠い目をこすりながらベンチ前に集まります。
緊張のオーダー発表。監督がその手に握っているオーダー表を読み上げます。
「一番、センター〇〇。二番、ショート△△。・・・・・・九番、レフト××。以上。」

ーそこに、僕の名前は、ありませんでした。

他の6年生はみんな出場しているのに。他のレギュラーには、4年生すらいるのに。眠気なんかふっとんだよね。もう。寝てて聞き逃したかなとか思ってもう一回名前見たけどやっぱり俺の名前はなかった。
「きっと、ここぞっていうところで使う最終兵器なんだ。」そうに違いないと、独り決めに決めつけていました。そうしないと心が持たなかった。

しかし、最終回の表になっても、まだ監督には呼ばれません。
遂に最終回裏の2アウト、僕らの最終バッターです。
4点ビハインドでランナーはなし、絶対絶命の状況です。


ー僕の名前は、やはり呼ばれませんでした。


試合には敗れ、全国の夢は一回戦で儚く散り、僕の尊厳は粉々に砕け散りました。
同級生の中で一人だけ試合に出場すらできなかったという事実は、僕のプライドというプライドを粉々に打ち砕き、あの凝り性じゃくしゃをして「二度と野球部には入らない」と思わせしめるほどでした。

その年の卒団生を送る会で監督に「いつ辞めるのかと思ってたら、案外根性があってビックリした」と言われたのは今でも覚えています。
その監督がくれた硬式ボールには「継続は力。失敗は宝物。」と書かれていました。
ふざけんなお前が試合に全然出さねーから失敗もしてねーんだわ。

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