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「平等」と「門地による差別」について

👇で話題になってたのを機会に、「門地による差別」を含め、憲法第14条について勉強してみた。

利用した本は👇。
なお、紛らわしいので、自分の考えなどは(注)として記載した。

第十四条の条文は以下のとおり。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 華族その他の貴族の制度は、これを認めない
 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

いつものように出典は👇

Ⅰ「法の下に平等」とは何か?

①「法の下に」とは?

「法の下に平等」は、現代においては下記2つを意味する、という。
● 法の内容について平等を求める「法内容の平等」により立法権を拘束。(注1)
● 法を適用する際は平等に適用されなければならない「法適用の平等」により行政権と司法権を拘束

(注1)
我々素人はむしろ「法の下に」が「立法権も拘束している」ことを忘れがちなように思う。

②平等とは?

● 「絶対的平等」現実的な差異を無視して全く機械的に均一に扱う事。しかし、これでは区別が合理的な理由に基づく場合ですら平等違反になり、そもそも法が成立しない。
なので、「相対的平等」事柄の性質に応じて合理的と認められる差別的取り扱いは合法とする。通常はこの立場がとられている。ゆえに、平等違反になるのは、差別すべき合理的な理由がない差別が行われた場合、と考えられている
● 「形式的平等」個々に事実上の違いがあったとしても法律上は均一なものとして対応すること。全ての個人に法律上平等に自由を保障する考え方。
実質的平等」事実上劣位に置かれている国民を有利に扱うなど、事実上の違いを考慮して対応すること。貧富の差などの、「事実上の不平等」などは是正されなければならないという考え方。
形式的平等は個人の自由と両立するが、実質的平等は差異の是正を要求することで、個人の自由と対立する可能性がある
ゆえに、我が国の憲法では、形式的平等の実現を基本とするが、例外的に実質的平等の実現も認められる、と考えられている、という(柔軟なのか、曖昧なのか・・・)。

③つまり、まとめると・・・

「平等」とは一般的には「相対的平等」かつ「形式的平等」であり、
全ての個人は法律上は均一に扱われることを原則とし、合理的な理由のない差別は認められない。そして、立法、司法、行政はこの「平等」を保障しなければならない。繰り返すが、平等に反する法は違憲として扱われるのだ。

Ⅱ門地による差別の禁止

「門地」=「家柄」である。「血統」と言う人もいるようだ(家畜じゃないんだから・・・)。つまり、出生という、本人の意思とは無関係に生来の偶然によって決まる理由に基づく差別が禁じられている(注2)。

Ⅲ社会的身分による差別の禁止

「社会的身分による差別」とは、門地との違いを考慮すると、社会において後天的に占められている地位のなかで、本人の意思ではどうにもならないような固定的な社会的差別観を伴う差別、だそうだ(注3)。

(注2)
門地は性別に並ぶ、日本の差別観の温床だと感じる。
部落差別は「門地による差別」の代表例である。
また、皇族を離れて戸籍を有する国民となった「旧皇族」の子孫の方々に対し、差別的扱いが行われることは違憲である。当たり前だが、養子縁組の強要(事実的強要も含む)などもっての外なのだ。
ついでに言うと、自分が「旧皇族」であることをアピールしている竹田ナントカという人も、憲法により権利を保障された、我々と同じ「国民」の一人である。
(注3) 
イメージしにくいが、婚外子差別が最も分かりやすいか。
あと、親子関係も、特に子の立場からは社会的身分に該当するらしい。尊属殺(自分または配偶者の父母・祖父母など、前の世代を殺すこと)がそれ以外の殺人よりも重罰を科していた刑法200条(現在は削除されている)が昭和48年に最高裁で違憲と判断されたそうだ。
ところで、尊属・卑属って・・・尊属は前の世代、卑属は後の世代らしい。いやいや価値として逆じゃないの?最近、「優性遺伝」と「劣性遺伝」が「顕性遺伝」と「潜性遺伝」に言い換えられたが、この「尊属」「卑属」の方がよほど悪質な言葉のように感じるが。言葉狩りする気はないけど!

Ⅳ 例外としての天皇制

 天皇が憲法第3章「国民の権利および義務」によって保障される「国民」に含まれるか、という問題については、
● あくまでも通説は第4条での「国政に関する権能」を否定されるなど、一定の制限を受けるが、憲法上の権利は一般には保障される、とされているらしい。
● しかし、天皇制は世襲制であり、第14条が禁じている「門地による差別」が行われている。そのため、憲法自体に矛盾を抱えていることになるため、矛盾なく憲法を解釈するために、天皇制は人権の観念の例外であり、第3章が保障される国民には含まれない、との説が近年は有力だという。こちらは「一般には保障」という曖昧な定義よりは明確だ。(注4)

(注4)
つまり、天皇皇族は第14条に反する存在であることを根拠に、人権を剥奪されている。なんとお気の毒なことか。
だから、天皇制が必要と考える人間であれば、ご自身の自由や人権を犠牲にしてまでも天皇や皇族という立場に留まり続けて「頂いている」ことに対して申し訳なく思うべきであり、かつ大いに感謝すべきなのだ。この感謝の姿勢を持たない人間は、本当は天皇制の必要性など少しも考えていない、と判断していいと思う。
そして、何度も言うが、皇族を離れ「国民」となったいわゆる「旧皇族」の方々は憲法が定める権利が保障されている。ゆえにその権利を侵害することは許されない。


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