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「反ワクチン」というラベリングの暴力

今年の1月にこんな投稿をした。

もうこんな低劣な言葉を使う恥知らずどものことは無視しておいていい、と思っていた。しかし多分6回目の追加接種開始時期が近付いているからか、最近この言葉がtwitterで再び目につくようになっているらしい👇

と言うわけで、ダメ押しとして、この言葉の暴力性について、HPVワクチン健康被害者の方の聞き取り調査から引用しておく。実名を公開されている方だが、一応「Mさん」としておく。

Mさんは、SNS上のHPVワクチンによる副反応被害の投稿に対して、「反ワクチン派」とコメントされることに心を痛めている。Mさんは、もし自分が反ワクチン派であれば、これまでの定期接種ワクチンを接種していないだろうと語った。しかし、Mさんは、これまでの定期接種ワクチンを全て接種しており、任意接種であったHPVワクチンも3回接種した。したがって、Mさんは、ワクチンを接種して、その副反応の被害を訴えている健康被害者に対して、「反ワクチン派」というラベルを貼られることに怒りを感じているという。それは、副反応のよる健康被害と向き合っていない人々が、健康被害者を「反ワクチン派」とひとくくりにするような姿勢だという。Mさんは、「反ワクチン」という言葉には、否定的な意味が込められていると感じており、それは反社会的なニュアンスが含意されている言葉ではないかと疑問を持っている。

ついで、と言うわけではないが、健康被害者の支援に関わっている小児科医の山田真先生への聞き取りからも引用。

山田さん自身は、すべてのワクチン接種を全面的に否定するような「ワクチン反対派」ではない。山田さんはワクチンのプラスとマイナスの面を考えて、プラスがあるものについては勧めているが、ツイッターなどで、「山田真は反ワクチン派の有名人だ」とツイートされることに困惑している。SNS上でそのような話が広がると、ワクチンを選択して接種したいと思っている母親たちに誤解を与えかねない。それは、ワクチン慎重派が白黒をはっきりさせたい完全推進派と完全否定派の間に埋没していく状況だという。

この言葉の問題点は、お二人の語る内容が全てだと思う。
こんな質の悪い言葉を未だに平気で使える人間がなぜ存在するのか、私には全く理解できない。

ちなみに今回引用した書籍、著者による解説がweb上にあったので紹介しておく。
奴らが「反ワクチン」とラベリングしたがる理由が簡潔に説明されていると思う。なお、太字、段落分けは引用者による。

ワクチン接種のスケジュールは、予め生政治と上からのサブ政治により、詳細に管理され、個人は、決められたスケジュールにしたがって、数多くのワクチン接種を生涯にわたり履行する。
これらのワクチン接種の記録は、生政治あるいは、サブ政治(医師・医療機関、感染症・公衆衛生専門家)により、保存・管理されることになる(意図的に破棄される場合もある)。
保存・管理された記録は、統計学などによるデータ解析モデルを駆使して、さまざまな指標に転換されるが、生政治は、接種率の上下による感染症罹患の推移を免疫学的に観察しつつ、社会に対して継続的なワクチン接種の要請を行う。
そのような要請の前提は、集団的社会防衛の必要性である。しかし、生政治が集団的社会防衛の必要性を要請すればするほど、身体への介入という権力の行使に反対する人々との対抗関係を生むことになる。
そのような対抗関係は、ワクチン接種に反対、受けるワクチンを選択、接種を受けない権利言説などとして出現する。
したがって、生政治は、ワクチン接種による身体介入を管理するだけではなく、サブ政治との協働により、言説そのものを管理する必要性に迫られる



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