【第28回】JATO 日本人ATC リレー形式紹介企画:大澤有美子さん
先月は大学にて教育者・研究者として活躍されている越田さんにお話をおうかがいしました。
今月は越田さんとも留学時代の苦労をともにした大澤有美子さんにインタビューにお答え頂きましたので、是非一読下さい!
アスレティックトレーナー(ATC)になろうとしたきっかけを教えて下さい。
アスレティックトレーナーという職業について知ったのは、私の場合、実は、渡米後です。
幼い頃から体育教師になることが夢で、当たり前のように部活動に没頭し、体育大学に進みましたが、私の卒業時はちょうど教員の新規採用がない時代で、採用枠がないのであれば、少し回り道して、スポーツサイエンスをしっかり学び、根性論だけでなく科学的理論が背景にある指導ができる教員(顧問)になりたい!と思い、当時のスポーツサイエンスの最先端であるアメリカの大学院に進みました。
大学院への準備として、学部の専門科目を履修しているとき、周りの学生達が、授業が終わると一目散に一生懸命インターンに向かうのを見て、「何のインターンしてるの?」と話を聞いたところ、アメリカにはATCという職種があって、選手を心身の両面から全面的にバックアップするのがATCであること、そして、その資格を取るためにインターンして技術を磨いているんだと教えてもらいました。
自分も大学での選手時代、ケガに苦しみ、選手としては心身ともに非常に辛い経験をしましたので、「こんな人が自分の周りにいて色々教えてくれたら、自分の選手人生も変わったかもしれない、、、」と、自分が選手として出逢いたかったATになることを目標に、その日から当初の考えはそっちのけで、ATのインターンに没頭し始めました。
アメリカでの学生時代に苦労したことや大変だったことはありますか?
当時のATC取得には、カリキュラム制ではなくインターンシップ制という形があり、私の大学は後者でした。そのため、インターンシップ先など、全て自分で探す必要がありました。
上手でない英語で、必死にGAにお願いして、ありとあらゆるサマーキャンプを夏中手伝わせてもらったり、近くの公立高校に押しかけていって直談判し、結果、その高校でインターンを3年近くやらせてもらったりと、今思えば、「あのエネルギーはどこから来るんだ?」というくらい必死でした。
今回ご紹介いただいた越田先生も、その時代を共に生き延びた「戦友」です(笑)。
アスレティックトレーニング学生として一番苦労したのは、やはり、数いる学生インターンの中で、どれだけ自分の色をだせるか?ですね。
英語が上手でない分、何かしらで他の学生より勝るところがないと、テーピングにしろ何にしろ、選手は何もさせてくれません。そこで私は、逆に、日本人らしさを出してみようと考え、自分が選手時代に学んできた日本式の様々なストレッチ方法を選手に施してみるようにしました。
すると、シンプルなストレッチだけに慣れていた選手から、少し「おっ、いいじゃない?」と思ってもらえるようになり、そこから少しずつ自信をつけて、自分のできる幅を広げて言った感じです。優秀でない分、「自分の特徴を出さないとどうにもならない」「ならばどうしたらよい?」というのは常に考えていましたね。
その他、アメリカで印象に残っている出来事がありましたら、教えてください。
州立大学でアシスタントATCとして働いていた時、自分の選手が亡くなったことです。スポーツ中の事故ではなく、病気だったのですが、当時の私は、毎日接していた自分の選手がそのような病に侵されてきていたことに早く気づけなかったことで、心の底から自分を責め、ATを続けていく自信を完全に失いました。
しかし、選手本人、そのご家族、チームの監督を始め、ヘッドATC、同僚のアシスタントATC、大勢の選手やスタッフ達など数多くの仲間に支えられて持ちこたえることができ、ATという仕事を続けることができました。
その選手のために「千羽鶴を折ろう」と思った時、不器用なアメリカ人の仲間達が必死に鶴の折り方を覚え、協力してくれて数日で千羽鶴が完成しました。彼女が病室の枕元にこの千羽鶴を飾っていてくれたのが忘れられません。
多くの方々のサポートがあって自分はアスレティックトレーナーとして立ち直ることができ、現在に至ります。愛あるサポートの力を身にしみて感じた出来事でした。
また、別の意味で周りのサポートに感謝した出来事もありました。
私は、永住権の取得が難航し、結果的に日本に帰国することになったのですが、ビザの手続きに苦悩していたとき、担当していたチームの保護者達が、私をアメリカに残してくれようと、署名を集めて移民局に依願書を提出してくれたのです。どうにもなりませんでしたが、こんな私のためにこんなに大勢の方がここまでして下さるなんて、、、と結果はどうであれ、本当にありがたかったです。
苦労したことも多かったですが、こんなに素晴らしい方々に出会えて、本当に幸せでした。
帰国後から現在の仕事に至るまでの過程を教えてください。
私の場合は前述のように永住権の獲得が難航し、タイムリミットになって帰国したため、正直、帰国当初は何も就職の下調べもしていない状態でした。ただ、3月のJATOシンポジウムに間に合うように帰国し、帰国の数日後にシンポジウムに参加し、ずうずうしくも偉大な先輩方にアポなしでお話を伺って回ったという日本の社会では信じられない行動を起こしていました。(苦笑)
しかし、その縁でご紹介いただいた機会や人脈を通じて、約1年、講師、通訳、現場でのアシスタントなど多くの経験をさせていただきました。その経験から、これからは現場一筋の活動ではなく、今までの経験と知識を別の形で活かす仕事がしたいと考えるようになりました。
その結果、縁あって、スポーツ選手と高齢者も含めた一般の地域住民の方々に対して、各々の目的に応じた運動指導を提供することのできる現在の職場にたどり着きました。
現在の仕事内容を教えて下さい。
現在の職場である亀田メディカルセンター内のスポーツ医科学センターでは、健康増進を始め、高齢者の転倒予防、生活習慣病の予防、競技復帰・職業復帰へのサポート、パフォーマンス向上など、様々面から幅広い年齢層の方々に対して運動指導や教育を行っています。
また、市の教育委員会と連携し、地域の中学生に対して、スポーツ傷害予防のためのメディカルチェックも行ったり、上司がロコモティブシンドローム予防の啓蒙活動を海外で行う際の通訳をさせていただいたりもしています。
現在の1日の流れを教えて下さい。
一日の決まった流れというのは正直ありません、、。
私は、学校終わりの学生さんを夕方に担当することが多いので、10時頃出勤して、20時過ぎまで指導し、その後、カルテ記載などの残務をして21時過ぎに一通り終えてから、自分の作業をして、、、というのが主な流れになります。
午前中は、地元の高齢者の方々に転倒予防を視野に入れたグループ指導をしたり、膝痛や腰痛の症状改善のための運動指導することがメインですが、午後なると健康増進目的の40-60代くらいの主婦の方々に対する運動指導が多くなります。
夕方は、学校終わりの中高生に対する競技復帰のためのアスリハ、健康増進目的の仕事終わりの社会人への指導、スポーツ愛好家へのパフォーマンス向上のためのトレーニングが主になってきます。
現場でのアスレティックトレーナーとしての仕事からは遠ざかっているため、フィールドが恋しくなることもありますが、毎日楽しく運動指導させていただいています。
大澤さんにとってJATOとはどのような存在でしょうか?
頑張ってきた同志間での情報共有や、先輩方からアドバイスをいただくことのできる貴重な存在です。
また同時に、日本社会にアスレティックトレーナーという職種を認知させていくためには無くてはならない存在だと思っています。
JATOに加入するメリットを教えて下さい。
シンポジウムなどで集まると、毎回、同志から良い刺激を受けますね。自分がマンネリ化しかけた時などは、身が引き締まります。
やはり、皆アメリカで苦労してきているので、芯が強いのだと思います。常に上を向いている方が非常に多いので、自分もこのメンバーの一員として恥ずかしくないように活動していこうと思います。
これからATCを取得してアスレティックトレーナーを目指している学生にメッセージをお願いします。
アメリカでの生活はとても厳しいものだと思いますが、その苦労は絶対に後の自分への大きな糧となります。今、アメリカで勉強できることへの感謝を忘れず、失敗を恐れず、できるだけ多くのことにチャレンジして欲しいと思います。
失敗から学ぶことは本当に多いですから、、。ATCになろうと志した頃の気持ちを忘れず、楽しんで多くの経験をして下さい!
【編集後記】大澤さん、お忙しい中インタビューにお答え頂き誠にありがとうございました。アメリカでの苦労、出会い、別れ、そして、感謝の気持ちが伝わってきました。また、病院内でのスポーツ医科学センターでの仕事を通じて社会貢献され、アスレティックトレーナー(ATC)の職域の拡大にも貢献していただいており、JATOにも欠かせない存在だと感じました。来月は、大澤さんから“常に笑顔でエネルギュッシュな皆のお姉さま的存在”とご紹介いただきましたあの方になります。来月も楽しみにして下さい!
この記事は、9/15/2019にJATOウェブサイト、およびJATO公式フェイスブックページに掲載したブログ記事を再編集したものです。
----
▼JATOウェブサイトはこちら
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?