序文 脳振盪後の学業やスポーツへの復帰については広く研究が進んでいる一方で、脳振盪後の車の運転に関する研究はほとんど行われていません。1車の運転は、常に変化する環境に視覚・運動・認知の情報を適切に調整するとても複雑な作業です。2脳振盪後にはこれらの情報を処理する機能が影響を受ける可能性があり、運転者自身や他の道路利用者に危険を及ぼす可能性が高まることが考えられます。本研究は、脳振盪後の運転に関する学生アスリートの行動と意見を調査し、運転制限の実施状況とその理由を明らかにすることを目的としています。調査結果は、脳振盪後の運転に関するガイドラインの必要性や、医療従事者が脳振盪受傷患者に対してより効果的なアドバイスを提供する必要性を考えるきっかけになると思います。
論文概要 背景・目的 脳振盪は米国において公衆衛生上の重要な問題であり、毎年約380万人が受傷している。近年、脳振盪後の運転の安全性が医学界で注目されているが、脳振盪後の運転に関する研究は極めて少ない。運転は非常に複雑な行為であり、絶えず変化する環境に適応し、安全を確保するために視覚、運動、認知の各機能を適切に調整する必要がある。脳振盪後に見られる神経心理学的障害や運動機能の低下は、運転者自身、同乗者、さらには他の道路上の人々を危険にさらす可能性がある。
脳振盪と診断された人は、受傷後24時間以内に運転中の視野内の危険を認識する能力が低下することが報告されている。また、症状が消失した後でも脳振盪を起こした人は、対照群と比較して運転シミュレーション中の車両制御が劣ることが示されている。さらに、脳振盪の既往歴のある人は衝突事故のリスクが高いことが示されている一方で、危険検知能力に差がないことも報告されている。これらの研究から、脳振盪後に運転能力が損なわれる可能性があり、症状が消失した後でも数年間にわたり運転能力が完全には回復しないことが示唆される。
中度や重度の外傷性脳損傷、アルツハイマー病、パーキンソン病、多発性硬化症など、より深刻な神経学的障害を持つ人々における運転障害については広く知られている。多くの国で制定されている運転適性ガイドラインには、安全運転に必要な最低限の医学的要件が詳細に示されており、医師と患者が運転適性を判断する責任を担っている。しかし脳振盪を起こした人が運転に復帰すべき時期については、十分なコンセンサスを得るための研究が不足している。実際に、現在および以前の脳振盪に関するコンセンサス・ステートメントでは、スポーツや学業への復帰については述べられているものの、運転復帰に関する指針は示されていない。特に、外傷性脳損傷やスポーツ脳振盪の発生率が他の年齢層よりも高い大学スポーツ選手においては、運転に関する推奨事項の標準化が必要である。脳振盪のリスクに加えて、若年成人は運転死亡事故のリスクも高い。
このような研究があるにもかかわらず、脳振盪受傷後に運転を控える意向を示す人は全体の48%に過ぎない。さらに脳振盪後の運転行動、運転中の安全性の認識、脳振盪のリスクがある集団における運転に関する意見について十分に解明されていない。本研究の目的は、大学の学生アスリートにおける脳振盪後の運転行動と意見を明らかにすることである。
方法 全米大学体育協会(NCAA)公認のスポーツに参加する大学生アスリートを対象に調査を行った。脳振盪後の運転行動と運転に関する意見について以下の項目を尋ねた。 脳振盪後の運転行動 1. 生涯に経験した脳振盪の総数 各脳振盪について以下の詳細が求められた: a. 医療従事者により診断されたものか b. 脳振盪受傷時に運転免許証を保持していたか ⅰ. 保持していた:脳振盪後運転を控えたか 1. 控えた:運転を控えた期間とその理由 2. 控えていない:運転中の安全感(5段階評価)と運転を控えな かった理由 ⅱ. 保持していなかった:次の質問へ
運転に関する意見 脳振盪後の運転に関する意見に関して、次の5段階評価の質問が行われた。 1. 脳振盪後の運転をどの程度安全だと感じるか 2. 脳振盪を受傷した人が運転している際、同乗者としてどの程度安全だと感じるか 3. 将来脳振盪を起こした場合、車の運転を控える可能性 これらの質問は「脳振盪受傷直後」、「症状がほとんどなくなった時」、「無症状」という3つの異なる時点に分けて回答を求めた。 「脳振盪を起こした際の車の運転を控えるべき期間」さらに、「脳振盪後に車の運転を控えるように指導されると知っていた場合、医療従事者に脳振盪を受傷したことを報告するかどうかの判断に影響するか」についても質問した。 脳振盪後の運転行動および運転に関する意見を説明するために、頻度分析と記述統計が用いられた。
結果 脳振盪後の運転行動 脳振盪を受傷した際に運転免許証を保持していたケースは89件。そのうち43.8%が運転を控えた。医療従事者による脳振盪診断を受けた場合66.7%が運転を控えた一方、未診断の脳振盪では73.1%が運転を控えなかった(p=0.002)。 運転を控えた期間で最も多かったのは、24~48時間、次いで2~4日。理由としては、a)医療提供者からの忠告、b)脳振盪が運転能力に影響したと感じた、c)他の移動手段があった、であった。運転を控えるよう勧めた医療従事者は、医師が最も多く、次いでアスレティックトレーナーであった。 運転を控えなかった学生は、脳振盪後の運転について、多くが「とても安全」と回答した。運転を控えなかった理由としては、a)脳振盪が運転能力に影響していると感じなかった、b)医療従事者からのアドバイスがなかった、c)他の移動手段がなかった、であった。 運転に関する意見 脳振盪受傷直後の運転は、運転手・同乗者として共に「非常に危険を感じる」と回答。症状がほとんど治れば運転者として「やや安全」、同乗者として「やや安全でない」と回答。症状が完全に消失すれば、運転者・同乗者として共に「とても安全」と回答した。 脳振盪を受傷した場合、運転を控える可能性が直後は「非常に高い」、症状がほとんど治まれば「可能性がやや高い」、症状が完全に治まれば「可能性は非常に低い」が最も多かった。車の運転を控えるべき期間に対しては、過半数が「医療従事者の許可が下りるまで」と回答した。 医療従事者による運転制限の指導が脳振盪を報告するかの判断への影響は、「おそらく影響する」(26.6%)、次いで「おそらく影響しない」(24.8%)、「間違いなく影響しない」(22.9%)であった。
結論 この調査は、大多数の学生アスリートが脳振盪後に運転を制限していないことを明らかにした。また、脳振盪後の運転復帰を監督する医療従事者の重要性や、脳振盪後の運転に関するガイドラインの必要性を強調している。さらに、運転制限と運転の心理社会的重要性のバランスをとる必要性も示唆された。医療従事者は、脳振盪患者の運転に対して、より組織的かつ協調的なアプローチで運転に関する指導を行う必要がある。
まとめ 本研究では脳振盪後の学生アスリートにおける運転行動と意見を調査し、運転制御の実施とその理由を明らかにしました。その結果から脳振盪後の運転に関するガイドラインの必要性が示唆されています。また、医療従事者による診断とアドバイスが運転制限に大きな影響を与えることも明らかになりました。ガイドラインがあれば医療従事者はより具体的で適切な助言が可能になり、指導が行いやすくなります。さらに脳振盪後の運転の影響を正確に評価できるツールも必要です。これにより、患者の安全を保ちつつ、生活の質を維持するためのバランスの取れた判断が可能になるでしょう。
Reference
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文責:橋田久美子 編集者:大水皓太 姜洋美、岸本康平、柴田大輔、水本健太