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【第30回】JATO 日本人ATCリレー形式紹介企画:小出敦也さん

前回は龍谷大学の職員であるアスレティックトレーナーとして長く活躍されている藤田まり子さんにお話をおうかがいしました。

今月は早稲田実業学校にてアスレティックトレーナーをされている小出敦也さんにインタビューにお答え頂きました。是非一読下さい!

アスレティックトレーナー(ATC)になろうとしたきっかけを教えて下さい。

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高校生の時は医学部を目指して勉強していました。高2の時にアメリカのロッキー山脈を2週間かけて縦走するプログラムに参加して沢山のアメリカ人と交流しましたが、衝撃を受けてアメリカの大学に行きたいと強く思いました。

留学関係の雑誌の中にアスレティックトレーナーの資格がアメリカにある事を知り、大好きなNBAのバスケチームで働ける可能性を夢見てすぐにアメリカに行く決心をしました。

当時、日本ではアスティックトレーナーという資格は聞いた事も、その資格を取得された方にもお会いした事もありませんでした。

また高校のバスケ部時代は怪我ばかりで毎日整骨院に通っていましたが、学校にこのような素晴らしい専門家がいたらどんなに良いだろうかとも当時思っていました。

アメリカでの学生時代に苦労したことや大変だったことはありますか?

大学のアスレティックトレーナー学科では初めての日本人だったので教授も対応に困っている事もありましたが、色々と工夫してくれ、本当に助けてもらいました。

ディビジョンⅢの小さな田舎の大学だったので同じ学科の同学年には6人程しかいなく、皆で助けあって学ぶ良い環境でした。

ただ近くにあるDivision1の学校での実習があるのですが、そこに派遣されるためには教授から認められた優秀な学生しか行けませんでした。英語もまだまだ上手でない自分はあの手この手で教授に猛アピールしたり、寝る時間を一日に2~3時間しか取らずにひたすら勉強して良い成績を取ろうとしたり頑張っていました。

やっとの思いで勝ち取ったIVYリーグのアメフト部での実習は最高でしたが、実習が始まって直ぐにアスレティックトレーナーが使うゴルフカートを電信柱にぶつけた苦い思いでもあります。

その他、アメリカで印象に残っている出来事がありましたら、教えてください。

NBAのセルティックスでは超優秀なヘッドトレーナーと私の二人しかアスレティックトレーナーがいない時期も長くあり、若手で経験も浅い私は最初の頃は選手からほとんど信頼されていませんでした。

半分は冗談で言っていたのだと思いますが、ロシア人のマッサージセラピストから「無能な人間は早く日本に帰れ」と毎日のように言われ続けて悔しい思いをしていました。

ある日、体育館の裏口で落ち込んで座っていた自分を偶然に通りかかったポール・ピアースという有名な選手が親身に話を聞いてくれて、次の日からポールのテーピングから練習前後のケアなども全部見てくれと言ってもらいました。

それ以降、練習日も試合日もポールのケアを担当していると他の選手からも色々な事を頼まれるようになり、いつの間にか全ての選手がブラザーのように自分を受け入れてくれるようになりました。Nomoというニックネームが元々ありましたが、Nomey the Homey(我が家のノモ)やNo-more pain(ノモで痛み無くなる)と言う素晴らしいニックネームで皆から呼ばれるようになりました。

帰国後から現在の仕事に至るまでの過程を教えてください。

帰国後は業界にほとんど知り合いもいなく、コネクションもありませでしたが色々な人に連絡をして 現場を見せてもらったり話を聞いたり、学会に参加したりスポーツの会場で挨拶回りをしていました。

就活を開始してから半年間で300人位の方々にお会いしましたが、縁があって慶應義塾大学のバスケ部の専属アスレティックトレーナーと大学の非常勤講師のお話を頂きました。

それ以降は実業団(現Bリーグ)や日本代表チームなどバスケ業界を中心に活動してきて、このままずっとバスケ業界で仕事するのかなと思っていたところ、色々とあり突然に契約満了となりました。

今後の人生について長く悩みましたが、京都にある龍谷大学のスポーツ文化活動強化センターに勤務する事になりました。職場はプロのATが4人、SC5人の最高の環境で、純粋にスポーツを頑張る学生達をサポートする事でアスレティックトレーナーを目指した頃の熱い思いを取り戻す事ができました。

もっと龍谷大に居たかった思いはありましたが、早実のAT公募が出たので受けてみて現職に就く事になりました。

現在の仕事内容を教えて下さい。

早実では中・高校生のクラブ活動の生徒の健康管理が主な業務です。専任講師としての契約ですが授業などは教える事はありません。

アスレティックトレーナーズルームでは生徒の傷害評価やリハビリ指導などもしますが、様々なクラブ毎のトレーニングや傷害予防運動やコンディショニングの指導も良く行います。

熱中症や脳震盪予防、栄養指導、トレーニングなどの座学講義などもクラブの生徒や保護者など開催する事も多々あります。週末の試合や大会、合宿なども帯同する事も多いです。

スポーツの安全管理のため色々なガイドラインやルール作り、環境の整備、指導者や教職員の教育なども行っています。保健室やスクールカウンセラー、治療院や整形外科の医師などとも連携を取って生徒の状況にあった適切な医学的サポートもしています。

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大学との連携も取って様々な研究や栄養指導もしていますし、トレーナーの実習生の受け入れなども行っています。教員としての採用なので入試や学校説明会などの手伝いから体育祭やマラソン大会の救護などやれる事は何でもやっています。

基本的にはアスレティックトレーナーとしての業務を基準にしていますが、クラブによって求められる事が違うので臨機応変に役割や立ち位置を設定しています。

また学校専属アスレティックトレーナーだからこそできる事、学校全般の安全管理や健康に関係する事の業務をどんどん推し進めています。今後は沢山の学校にアスレティックトレーナーが導入されるように存在価値を高めていければと思います。

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現在の1日の流れを教えて下さい。

10:30-12:30、13:10-15:00 デスクワーク
12:30-13:10 トレーナールーム開室(昼休みの診療)
15:00-19:00 トレーナールーム開室、校内巡回
 (水、土曜は午前中のみ授業なので12:30-19:00で開室)
(日曜や長期休暇中は9:00-18:00開室)
*大会、試合、合宿等で出張も多数あり

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小出さんにとってJATOとはどのような存在でしょうか?

同じ思いを持った仲間達が集まる場所です。最先端の研究と現場の声が交わる貴重な場所だと思います。

以前まではATCが中心に集まっていましたが、資格や業種にとらわれず沢山の方々が交流できる組織になってほしいと思います。

JATOに加入するメリットを教えて下さい。

人は物事を自分が見たいように解釈しがちですが、沢山の違った意見や人々と交わる事によって新しい発見があると思います。JATOに加入している人はそんな前向きな人々ばかりなので常にエネルギーをもらっています。

これからATCを取得してアスレティックトレーナーを目指している学生にメッセージをお願いします。

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ATCという資格も資格でしかありません。大切なのは自分が色々な経験をして知識や技術の幅を広げ、現場にいるアスリートやクライアントのためにどう活かすかだと思います。

その現場でATCが得意なアプローチが合うのか、日本の資格を生かしたアプローチが良いのかは現場のニーズと選手やコーチの考え方、そして自分自身が将来的にどう持っていきたいかによります。

資格にとらわれずに柔軟に対応できる幅広い技術、知識と人間力を身につけてください!

【編集後記】小出さん、お忙しい中インタビューにお答え頂き誠にありがとうございました。学校専属のアスレティックトレーナーとして広い視野で現場に合わせたアスレティックトレーナー業務をされていることが伝わってきました。小出さんの活動は、きっと日本におけるアスレティックトレーナーの職域の拡大につながると感じました。来月は、小出さんから“バイタリティの塊”とご紹介いただきました女性アスレティックトレーナーになります。来月も楽しみにして下さい!


この記事は、11/15/2019にJATOウェブサイト、およびJATO公式フェイスブックページに掲載したブログ記事を再編集したものです。

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