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ATARを通して理解する日本とオーストラリアの教育の違い

オーストラリアの大学受験は、大学や専門学校の入学を希望する生徒に通っている学校の成績と最終学期に行う卒業試験の得点を加味した得点をATARというポイントにして、上位の生徒から希望する大学に入学するシステムになっています。

ATARとは、Australian Tertiary Admission Rank の略です。Tertiaryは第三次という意味で、イギリスやオーストラリアでは、小学校をプライマリー primary education 中学高校をセカンダリー secondary education 大学や専門学校をターシャリー tertiary educationと区分しています。

ちなみに、第一次産業を primary industry 第二次産業を secondary industry 第三次産業を tertiary industry と言います。

Admissionは入学です。

ATARは得点ではなく、ランキングです。大学進学を希望する生徒は必ずATARのポイントを取らなければなりません。ポイントは、最高ポイントが99.95 次が 99.90 のように0.05ポイント刻みです。

今日は、オーストラリアの高校留学を考えている人だけでなく、それ以外の人にもオーストラリアの大学受験制度や高校の授業システムを理解してもらうように説明できればと思います。ですので、日本の大学受験や高校のカリキュラムとの違いを特に焦点を当てて書いていきますのでご了承ください。

日本とオーストラリアの高校の教育の大きな違い(今回は個人的感情を含めて書きたいと思います。後日客観的な内容のブログも書く予定です。)

オーストラリアの高校では自分の学びたい教科や将来必要な教科を自由に選べるし、学校になければ、オンライン等で受講できる。

日本の教育は文部科学省が指定した教科の中から教科を選択するシステムですが、オーストラリアでは、基本的に好きな教科を選択できるように各州の教育省が努力しています。

つまり、スペイン語も選択できるし、ダンスも選択できるし、農業も選択できるし、旅行業も選択できるわけです。州によっても異なりますが、それぞれの学校で6名程度の選択希望者がいなければ、学校では授業は受けられませんが、オンラインなどで行えます。ただ、例えば、スペイン語、ギリシャ語、イタリア語を全部取る。のようなことはできる州はありません。

英語は必須ですが、英語もレベルを4段階程度分けてあります。また、留学生のみが選択できる英語もあります。

もちろん、文系理系という発想は欧米諸国にはなく、オーストラリアでも、文学を大学で学びたい生徒も一番難度の高い数学を選択できます。日本は、文系の学部では数学Ⅲを受験科目として認めていません。

日本の文系の学部では、無限等比数列も置換積分法も媒介変数表示も必要ない、しかし、経済を学ぶ人でも、日本史は必要で、高度な数学は必要ない。とにかく、オーストラリア人には理解できない教育システムだと思います。

教育は州の管轄なので、州によってATARの得点システムは異なります。

オーストラリアでは、州ごとに教育システムは異なります。私が留学したころは本当にバラバラでしたが、今は州によって違いがかなり少なくなってきました。

ですので、ATARはあくまでもそれぞれの州の大学受験システムによって計算されます。ですので、シドニーの生徒とメルボルンの生徒はそれぞれの教科で異なるカリキュラムで授業を受け、卒業統一試験も異なる試験を受けるわけです。

当然、ATARの計算方法も異なるわけです。それでも各州で算出されたATARのスコアは全国統一されます。つまり、NSW州のATAR99.00とタスマニア州のATAR99.00は同等ということです。

州ごとに教育制度が異なることで、各州が切磋琢磨して、より生徒のことを考えた教育システムを構築していく姿勢は日本では起こらないわけです。ですので、日本ではいまだに時代遅れの教育システムで高校生は受験に臨まなければならないわけです。

浪人という発想はオーストラリアにはありません。成績上位者から大学、学部を選択できます。

受験に失敗したら、来年また頑張ってください。

凄く無責任だと感じませんか?

経済を学ぼうとする生徒に、日本史をもう一年勉強させる意味があるのでしょうか?経済を学ぶ生徒に、漢文や古典は必要でしょうか?東大に運悪く不合格だった生徒が、もし、東工大を受験したら合格した確率は高かったと思いますが、それでも、国立大学には入学できないわけです。予備校通って、150万払って、古典や漢文や日本史をまた学ばなければならないわけです。

これが日本人には正常な光景だと思うこと自体が不思議です。

貧乏人は、高望みはしてはいけない。

オーストラリアでは、ATARのポイントの高得点順に志望大学が決定されます。つまり、上位者から、学びたい、大学、学部を選んでいき、もし志望する大学がいっぱいでも、第二志望、第三志望の大学が空いていれば、その大学に入学できるようになっています。

東アジアの価値観が大好きな生徒は浪人してでも希望する大学に行きたいと思うのはわかりますが、そろそろ、どの大学に行きたいかではなく、どんな勉強をしたいのかを考えてほしいなと思います。

推薦入試、一般入試の区別なし。学校の成績もATARに加算されます。テストだけできれば、授業中寝ていても、宿題をやらなくても問題ないのは日本や東アジア系列の国のみ。

私が日本の受験システムの中で一番異常だと感じるのは、高校3年間、授業中ずっと寝ていても、試験で毎回0点を取り続けても、宿題を全くやらなくても、当日の試験で高得点を取れば希望する大学に合格することです。

つまり、日本では入学試験で合格点を取れば、学校に適当に行って、授業を全く聞かなくても問題ありません。と、国が公式にアナウンスしているわけです。

オーストラリアでは、学校の成績はATARの得点の半分を占めます。それも、一般的には、学期末のテストの得点よりも、課題の得点が成績に占める比重は高いし、出席率や授業態度も加味されます。ですので、宿題を提出しない生徒が、卒業統一試験で高得点を取っても、高いレベルの大学、学部には合格できないようになっています。

テストだけが生徒の能力を測る基準というのはおかしいと感じます。テストにできないような個人の個性あふれる研究発表やプレゼンテーションの能力や、構成力などもテストと同等に大学での勉強や仕事に求められると思います。

成績は絶対評価。すべての学校が成績の基準を共有する。

相対評価というのは、学校内でのバトルです。学校内でのバトルですので、わかりやすいテストが成績や順位に反映されます。結局勝った、負けたなんです。いじめが生まれる根源ですよね。

オーストラリアでは、州ごと、各教科で成績を付ける基準が定められています。また、基本的には選択教科ではどの学校でも同じ基準が適用されます。これが、オーストラリアでは、中学入試も高校入試もない理由です。一部の州でセレクティブのテストを行いますが、はっきり言って、中国人を満足させる入試で中国系オーストラリア人以外は興味もないシステムです。当然、ほとんど受験者はアジア人です。

成績を公平にするために、先生方も何度も会議に参加して基準の徹底を行います。

絶対評価であれば、生徒みんなが協力して課題に取り組むわけです。私自身も、寮の生徒の数学の課題を手伝って、それを他の生徒にも共有させて教えたことがあります。テストでいい点数を取るために、他人を助けることは、ばかげていると感じる日本の教育は本当におかしいです。

教科の難易度は先生が決めるのではなく、相対的に難易度を決める。

例えば数学であれば、5つほどにレベル分けされています。当然、簡単な数学は日本の中学生でも余裕で解けるレベルであって、一番高いレベルの数学は高校3年生レベルまたは大学レベルになります。

しかし、オーストラリアでは、一番高いレベルの数学の得点を優遇することはありません。あくまでも、相対的に得点調整をします。つまり、数学の一番高いレベルを選択した生徒が、それ以外の教科でどのくらいのランクにいるのかを難易度に反映させるわけです。

わかりやすく言えば、数学の一番高いレベルの生徒と一番簡単なレベルの生徒が同じ日本史を選択したとします。そうしたら、その日本史の成績を比べて、それぞれの数学の得点調整をするわけです。

ATARの得点方法は、以前こちらのブログに書いたので参考にしてください。


わかってほしいのは、オーストラリアでは、どんどん新しいものを取り入れて、時代に合わせた教育を行っている点です。

日本では英語にリスニングの得点が比重が高くなった程度です。

日本のように老人が主導権を握る国はいつまでたっても古い体制を維持してしまうということです。

日本にもいいところはありますが、それはシステムではなく、勤勉さに関係するものばかりなのは残念です。

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