ニートでなぜ悪い 1話

はじめに

 この物語はフィクションであり、実在の人物・組織・団体とは一切関係ありません。

本編


 夏の風は心地よいのだと、この三年間忘れていた。
 耳元を過ぎていくのと同時に、緑色の塊がゆらゆらと揺れる。チアガールの振るボンボンを連想した後に、なぜだか何か巨大な敵に勝ったような気がした。
 (敗北を知りたいぜ…)
 久しぶりにするにやけ顔は何処かぎこちなかった。その顔を見たのかは知らないが、途端に風は止んだ。
 煙草を吸いたいと思った。
 ちまちま吸うからいけないのだ、思い切り吸い込んでしまえば身体への害よりも幸福が勝るかもしれない。
 明日への不安とか、老後とか、戦争とか、直接的に関係ないことに心を傷められるだけの心の余裕が戻ってくるのかもしれない。釈迦や親の説法よりも効くし、きっとありがたいに違いない。
 俺はコンビニに足を向け始めた。ギシギシ音をたてるビニールサンダルはやかましいが、知ったことではない。
 コンビニの前に立って自動ドアがふわっと開いたと同時に感じる冷たさに、改めて夏を感じた。
 きっと、縄文とか弥生の人々は冬を思い出すだろう。扉が開いた途端に冬と錯覚するに違いない。逆に言えばここで夏を感じられることこそ、人類の文明が発達した証拠だろう。
 安楽であるということは、人間に逆転をもたらすのかもしれない。
 平日昼過ぎのコンビニに客は無く、店員も忙しそうに棚に商品を並べている。
 4〜5段に積まれた青色のパレットには、ひと月では食べ切れぬ量のおにぎりやサンドウィッチが敷き詰められていた。
 それを横目に、俺は飲料の棚に向かった。
 どの店でも、1番左からコーヒー、お茶、炭酸飲料、健康そうなフルーツジュースときて1番右に酒が並んでると相場は決まっている。
 俺のお目当ては3つ目の棚の真ん中に並ぶオレンジジュースだった。
 夏季限定の飲み物には目もくれずに、
 「私、新鮮です。」
 と自称しているパッケージを手に取る。
 ドアを閉じるときの鈍い音を背にして、左目で生ハムやら餃子やらラーメンやらを盗み見ながらレジへむかう。
 今日の夕飯は唐揚げ弁当に決まった。
 オレンジジュースをレジに置いて店員を待つ。  
 後ろに目でもついてない限りしばらくは放っておかれるだろう。
 全くもって急いでいないし、SNSでも見ようかしら、あら、この猫かわいいわね。
 いいねを押そうとしたその瞬間だった。
 「いまいきまーす。」
 溌剌としたその声は、蛍光灯の下で聞くには不釣り合いに思えた。
 飲料棚のドアよりやや高い音を出したレジのドアを抜けていく店員の顔を見た。
 その音は俺がバツが悪い顔をしていることなんて知らないだろう。
 柏谷孝太郎、25歳、無職。
 コンビニのレジで知り合いに会い死亡。
 

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