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【ウクライナ侵攻】意見表明 ウクライナの人々を思う

ウクライナの人々を想う

                        2022.3.20 室山哲也

信じられない残酷な光景でした。
ロシアの軍隊が、ウクライナの広大な国土を取り囲み、侵入し、残酷な火器で次々に街を破壊し、子供を含む多くの市民を死傷させ、核兵器をちらつかせながら、次第に狂暴化していく姿・・。まるで19世紀の戦争です。しかもその戦争は、ミサイルやドローンなど、テクノロジーを駆使した近代兵器で装飾されており、さらにおぞましい印象を与えます。
核兵器の他、生物化学兵器などの大量殺りく兵器を背景にしながら、超高速ミサイル、原発への攻撃、繰り返される情報操作で、民主主義が破壊され、人類の安全保障が大きく揺らいでいます。
そしてその中で、今日も無辜の市民が犠牲になり続けています。

科学ジャーナリストは、このような時、どう考え、何を伝えていけばいいのでしょうか?
この非人道的行動が、科学技術開発、安全保障、民主主義、エネルギーや経済、情報社会、市民意識や教育などと関連し、複雑に絡み合って、引き起こされている現状を、どうとらえればいいのでしょうか?

野蛮な戦争は、一刻も早く終結させるべきです。
しかし、その背景は複雑で、今後整理しなければならないことが山積しています。答えは簡単に出そうありませんが、真剣に議論を続けることが大切だと思います。

それにしても、悲劇はいつも市民などの弱者に降り注ぎます。
私は、チェルノブイリ原発事故の番組取材で、10年間ロケを続け、その都度、キエフを拠点に、長く滞在したことがあります。原発事故の不安の中でも、キエフは美しい街でした。郊外に出ると緑があふれ、花が咲き、鳥がさえずっていました。独立広場で食べたおいしいアイスクリームも、家族が憩う団地のたたずまいも、居酒屋にいた人々の笑顔も脳裏に浮かんできます。
多くの知り合いもできました。
市内の団地に住む、タチアナさん一家は、ソ連時代の核実験場で被曝し、放射能汚染を免れて、キエフに移住してきました。しかしそこで再び、チェルノブイリ原発事故に直面するという、悲劇に見舞われました。消防士のご主人は、事故後、放射線による後遺症に苦しみながら亡くなりました。その家族が今、再びロシアによる恐怖に直面しているのです。
以前、タチアナさん達が、招待されて来日した時、家族を連れて、都内のホテルで再開しました。私の娘は自閉症で、それを知ったタチアナさんは、娘を強く抱きしめてくれました。弱い立場の人間をいたわる、心のやさしい人でした。その後も交流は続き、取材にいく仲間に義援金を託したりしましたが、消息が分からなくなりました。
ニュースで見る攻撃されるキエフの街角は、タチアナさんと歩いた場所です。その町で、多くの市民が犠牲になり、不幸の淵にあえいでいます。
あの人たちは今、どうなっているのだろう?
どこに避難して、生活しているのだろう?
食事はとれているのだろうか?

現地の凄惨な姿は、想像も及びません。
私は、自分の心も一緒に、武力で攻撃されているような、にぶい痛みを感じます。この戦争が一刻も早く終結し、少しでも平和な生活に戻ってほしいと、心から祈るばかりです。

タチアナさん一家

図1


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