【日本学術会議 任命拒否問題】 「人事とカネ」の動きを変えるために出来ること

 私は1997年、企業内研究者の副業として著述業を始めた。2000年から著述業に専念し、2010年までは科学と技術を守備範囲として執筆を続けてきた。しかし2011年、東日本大震災を契機として、社会と社会的弱者の問題、特に最後の生活基盤である生活保護の問題に軸足を置くようになった。2014年からは「学術的基盤のもとで、より責任ある提言を」という希望を持ち、大学院博士課程で2000年以後の生活保護政策の決定過程を研究している。現在は博士学位論文に取り組んでいるところだ。

 私には、今回の日本学術会議の任命拒否問題は、見え隠れするシナリオが“粛々と”実現される過程の一エピソードに見える。2001年以後、自民党や自民党政権が実行を望む政策は、根拠や妥当性と無関係に実現されてきているからだ。ここでは、生活保護政策から一例を示し、なぜこうなってしまうのかを考えたい。もしかすると、対策が見つけられるかもしれない。いったん、話が「学問の自由」から離れてしまうけれども、「急がば回れ」だ。

 2006年、全国知事会と全国市長会が「新たなセーフティネットの提案」と題する生活保護制度改革案を公表した。提案内容に対して、全国の良識的なケースワーカーたちは「荒唐無稽すぎる」と失笑し、「到底、実現しないだろう」と考えていたという。

 「提案」の基本的な認識は、「働ける人は、働けば生活保護が不要になるはず」「働けない障害者や高齢者に対しては生活保護が必要かもしれないけれど、その水準は極めて低くてよいはず」「生活保護の役割を限定すれば、福祉事務所に関するコストを削減でき、民営化も可能である」というものである。生活保護の役割を、保護費支給と就労支援と生存確認に縮小すれば、福祉事務所の設置費用やケースワーカーの人件費を削減できる。それだけなら、民間委託も可能かもしれない。

 しかし生活保護を必要とする人々は、そもそも“雇われ力“が極度に低かったり、病気や負傷や高齢などの理由によって”雇われ力“を失っていたりすることが多い。「就労指導が生活保護を不要にする」という認識は、そもそも現実に即していないのである。また、福祉事務所の業務の民間委託を可能にするには、公務員の位置付けや職務に関する法律のすべてを変更する必要がある。1人のケースワーカーは、住民少なくとも65人(都市部では少なくとも80人)の生命と生活、そして1年間で1億円以上の保護費を取り扱う。そのような重い責務と多額の費用を、そう簡単に民間事業者に託してよいものだろうか。

 ともあれ2007年以後、「提案」の内容は次々に実現され、数々の法改正や制定に至った。その中には、たとえば生活困窮者自立支援法(2013年)のように、今回の新型コロナ禍において「ないよりマシ」程度の存在感を発揮しつつも、「やっぱり“使えない”制度だ」という実態を露呈してしまったものもある。

2020年秋も、「提案」を実現しようとする政府の勢いは止まっていない。現在は、未だに実現されていなかった「福祉事務所民営化」が現実になることを食い止められるかどうかの瀬戸際だ。これが現実化すると、残るのは生活保護の有期化(健康で「働ける」とされる場合は最長5年)だけになる。

2006年、「荒唐無稽すぎて実現しないだろう」と考えられていた「提案」は、なぜ、“粛々と”実現されてしまったのだろうか。理解の鍵は、現在も進行中の歴史にある。

 2001年、小泉純一郎内閣のもとで「聖域なき構造改革」が開始され、公的部門の民営化や擬似市場的競争原理の導入が行われた。大学と学術研究に関する2000年代の改革も、この路線に基づいて実施された。そして、2004年度から国立大学が法人化され、2006年には「第3期科学技術基本計画」で研究費への競争的資金の導入が決定された。2009年、民主党政権の発足直後に行われた「事業仕分け」のルーツも、それまで自民党政権下で河野太郎氏らが主導して行っていたコストカット提言にある。

 2012年、再度の政権交代が行われ、足掛け8年にわたって安倍政権が継続した。大学と学術研究にとっての影響の根源としては、2016年に発足した内閣人事局が挙げられる。内閣が各省庁の幹部人事を掌握する本制度は、2008年、第一次安倍政権のもとで成立していたのだが、実施されたのは2014年だった。「安倍晋三前首相の悲願」の一つであろう。

 政治の中心は、人事とカネである。各省庁の予算は、もともと財務省を通じて内閣にコントロールされていたのだが、2016年に内閣人事局が発足すると、各省庁は人事も内閣にコントロールされることとなった。時の政権が日本をコントロールする仕組みは、もはや強固な制度として成立してしまっている。

 国民には、選挙行動を通じて国会議員を選択する権利がある。しかし選挙制度も、1980年以来、多数派が有利になるように改変されつづけている。目指すところは、自民党の戦後の悲願でありつづけてきた憲法改正なのであろう。現在の憲法改正論議につながる「憲法改正草案大綱」を自民党が公表したのは、2004年のことであった。そこに、学問の自由を拡大しうる内容はない。

 日本学術会議の任命拒否問題に投影されているのは、菅義偉首相と自民党の姿だけではない。現在の日本の姿であり、この20年間での激変ぶりであり、激変の背景である。直接の争点は学問の自由だが、真の争点は数え切れない。

 あまりにも「日暮れて道遠し」という感はあるけれども、まずは知り、考え、発言し、「今回だけは選挙に行ってみようか」という小さな行動変容を始める人々が増えることを望みたい。その蓄積は、緩やかでも確実に、日本と未来を希望ある方向へと変えていく。日本のすべての人々と学術研究には、今回の任命拒否問題を「災い転じて福となす」の契機とする自由がある。

2020年10月17日 理事 三輪佳子

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