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隣りの八重ちゃん (1934) 松竹

島津保次郎監督
 
1934年に公開された 古い古い映画です。
1934年と言ったら 昭和9年。
 
日本映画がサイレントから トーキーに移ったのが
1931年だそうで それよりわずか3年後の作品。

その日本初のトーキー映画、松竹の『マダムと女房』の監督を
後輩の五所平之助監督に奪われ、発奮した島津監督の
原作・脚本・監督による『隣りの八重ちゃん』 
 
東京郊外に 隣り同士で住む 
2家族の交流を描いた作品で
ホームドラマの元祖的作品とも 言われてるそうです。

それでは 映画のあらすじと
それにまつわる ちょっとしたお話を。


主人公・高校生の八重子(逢初夢子)の家族は
お父さん(岩田祐吉) 
お母さん(飯田蝶子)
お嫁に行ったお姉さん(岡田嘉子)
 
帝大生の恵太郎(大日方伝)の家族は
お父さん(水島亮太郎)
お母さん(葛城文子)
弟の精二(磯野秋雄)
 
ふたつの家族の家は
空き地を挟んで 隣り同士に建っていて
どちらも とってもモダンな家で 家族同士も仲がいい。

八重子も 隣りの恵太郎と弟の精二とは 大の仲良し
お風呂屋さんにも3人で行くほどだ。
 
ある日、恵太郎が学校から帰ると
家には誰もいない。
 
恵太郎は 八重子の家の垣根を飛び越えて
どかどかと勝手に 茶の間に上がり込み
 
当たり前のように
「おばさん、お腹空いちゃったよ」
 
八重子のお母さんが 卓袱台の上に
ご飯やおかずの小鉢や お汁のお椀を こまごま並べ
恵太郎に留守を頼んで 市場に出かけてしまうと
 
そこへ八重子が
お友達の悦子(高杉早苗)を連れて来て
恵太郎に紹介する。
 
恵太郎がいい男なので うふふふ、もじもじ・・・ 
恥かしがる悦子を連れて
自分の部屋に連れて行く八重子。
 
隣りの部屋から聞こえる ふたりの会話に
耳を澄ます恵太郎。
 
「あの方、ちょっとフレデリック・マーチに似てるわね」
「そうかしら」
「あなた、好きなんでしょ」

八重子は照れて 話を変える。
「あなたのおっぱい、いい形ね」
「そう? あら、あなただって」
「私は、ぺちゃんこよ」

ますます身を乗り出し 耳を澄ます恵太郎。
 
しかし 真面目な恵太郎は あとで
「けしからんよ、男性のいるところでお乳の話なんて」
耳を澄まして 聞いてたくせに。
 
そんなある日、八重子のお姉さんが
旦那さんと上手く行かず 嫁ぎ先を飛び出してきた。
 
みんなで元気のないお姉さんを励まそうと
映画を観に行ったり、
ご飯を食べに行ったりしているうちに
 
なんとお姉さんは 恵太郎にモーションをかけ
八重子は焼きもちを 焼いたりするけど
 
だけど 恵太郎は誘惑になびかず
面白くないお姉さんは ぷいとまた家出をしてしまった。
 
八重子の お父さんお母さんをはじめ
恵太郎の両親も心配して
新聞の尋ねびと欄に 記事を出そうかと
みんなで大騒ぎしているところへ
 
今度は 八重子のお父さんの
朝鮮への転勤が決まり (朝鮮!)
 
急で慌ただしいわねえ、なんて言いながら
八重子の一家は 荷物をまとめ
いよいよ引っ越しだ。
 
でも引っ越しトラックと一緒に行ったはずの
八重子が とっとと走って戻って来る。
 
そこで恵太郎が言う。
「女学校を出るまで 八重ちゃんはウチの人になるんだね」
 
八重子は 学校を卒業するまで
恵太郎の家に下宿することになったのだ。
 
「もう今日から、隣りの八重ちゃんじゃないわ」
 
          〇
こんなふうに なんてことは無い
隣り近所のささやかな エピソードを綴ったものですが

大メロドラマばかりが 大作とされた時代にあって
高い評価を得ました。

そして 当時の時代背景、風俗、暮らしぶりが面白い。
 
家の周りはまだ空き地が多く 見晴らしもいいので
あ、お父さんが帰って来るよ、なんて
遠くの方からでもわかる。
 
そして、戦前と言えども 若者同士の会話は
ぽんぽんとテンポがあって 今と変わらない。
 
だけど言葉遣いは 天と地ほど違いますね。
 
「お帰りあそばせ」「おいとまするわ」
「失敬するよ」・・・
こんな言葉を 八重ちゃんたちは普通に言ってます。
 
八重ちゃんを演じたのは 逢初夢子さん
「あいぞめ ゆめこ」と読みます。
松竹歌劇団出身の夢子さんは
この一本で 一躍スターになりました。
 
恵太郎さんは 大日方伝さん
「おびなた でん」と読みます。
蒲田時代の「松竹三羽烏」のおひとり。
 
美男俳優として
お名前は昔から知っていましたけど
なるほど、噂以上のいい男でしたわ。


 

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