ちょっと休憩「ジャスミンの 母の思い出」
今回は
私の母と 映画館にまつわる 古いお話をしますね。
母が50代前半の頃の できごと。
母も映画が大好きで
その日もひとり、夜の映画館で
大ファンの グレゴリー・ペック主演『白鯨』を観ていた。
すると途中で 不意に咳が出て止まらない。
ハンカチで口を押え よろよろとロビーに出て
椅子に座って 咳込みながら ふと気づくと
誰かが背中をさすってくれている。
ありがたいやら 恥ずかしいやらでしたが
そのうちやっと咳が止まり
ありがとうございましたと うつむきがちに顔をあげると
思いがけないほど間近に 20代くらいの青年の顔。
青年は 大丈夫ですか、と言いながら
尚も優しく背中をさすり続け それがとってもいい気持ち・・
母は
なんと優しい若者なのでしょうと思いながらも
もしかしたらこの人は
私を若い女性だと思っているのではないかしらと思ったそうです。
このときの母の服装は
黒のオーバー (当時はコートと言わず オーバーと言ってましたよ)
髪を 赤とグリーンの柄の ネッカチーフで包んでいた。
(これも当時は 流行っていましたね)
それで
これは長く期待を持たせては申し訳ないと
「ありがとうございました。私はもう帰りますので
どうぞ、あなたは映画に戻ってください」
電灯の灯りに しっかり顔を向けて
そう言いましたら
なんと彼は「僕も帰りますから 一緒に出ましょう」
駅までの道を
若いアベックのように 寄り添いながら
このとき、母は少々気味悪く思っていたそうです。
この青年は 熟女好きなのかしらん・・。
妄想が膨らみ 次第に早くなる足取り。
駅に着き「ありがとうございました」と
走るように 改札を抜けたけど
同じホームに彼が上がって来た時は もう恐怖!
滑り込んで来た電車に乗り込みながら
もし彼も乗ってきたら
もう恥も外聞もなく 大声を出そう!
そう決心して振り向いたら 彼はホームに立っていた。
閉まるドアの向こうで「気をつけて」
唇の形でそう言うと
さっと、電車とは逆方向にホームを歩いて行ったそうです。
この後の母の胸は
大きな 大きな 慙愧の気持ちで いっぱいになったそうで
自分は ただただ人生の波にもまれているうちに
いつのまにか
人を信じるという純粋な心を 失くしてしまっていたのね、と。
私の母は
結婚前は 女中さんにお世話をされて育ったという
お嬢さんでしたが
大恋愛で結婚した相手
つまり私のパパが 貧乏男だったので苦労もしたけど
やはりどこか
浮世離れしたところのある人で
その血を引いたジャスミンも
小さい頃から 空想好きで
今も立派な? 妄想おババで生きてます。
この映画館での体験は
母にとって印象深いものだったらしく
何度か聞かされました。
「でもね、ちょいと宝田明みたいな感じの二枚目だったわよ」
その母が亡くなって もうじき30年にもなります。
この話を聞いた時の
母のブラウスの柄まで 覚えているというのに。
おしまい
天才・楳図かずお先生を真似てみました。