夢羽
宛名のないお手紙です。 もしかしたら、あなた宛てのお手紙が見つかるかも。
こんにちは、はじめまして 夢羽と申します たいていの場合、初投稿では自己紹介をするみたいですが自己紹介がとても苦手です というのも、こんな人物です、とうまく自分を表現する言葉を見つけられていません 分かりやすい肩書とかも現時点ではないので、このままだと読んでいる人にとって私という人物がつかめないままになりそうです でもいつか自分の中でしっくりくる自己紹介ができたら、とも思います でも同時につかめない人間でいたいともどこかで思っています ・・・・・ noteを始
またここ数日体調が崩れかけていて、昨日(今日?)は結局朝方まで眠れなかった 体調が良くなると「今回は大丈夫かも」という希望を毎回捨てられなくて、ブレーキをかけないまま進み続ける癖がある そろそろ持続可能性を重視したいと思い始めて何回目なんだろう 起き上がれる状態になるまで布団で休んで、久しぶりに朝ご飯にお茶漬けを食べたらその温かさと塩気がとても沁みた お茶漬けって頻繁に食べないけど、食べるたびに「こんなに美味しかったっけ」って思うし、なんとなく安心もするからすごく好き
朝日のやわらかい光で目覚める朝が好きだ 2年前まで当たり前にあったのに突如消えたまま戻ってこなかった朝を楽しみにする気持ちが最近戻ってきて、毎朝目覚めるたびに安心する (でも同時にまたいつか消えてしまうのだろうかと恐れていたりもする) 朝起きたら、夜のうちに準備して冷蔵庫に入れておいたオーバーナイトオーツにバナナときな粉とハチミツを加えて食べる 出かける準備をしつつ、時間に余裕があれば家で日記を書く 毎日たいてい朝と夜に書く日記が時間の流れを感じさせてくれる このと
最近、とても調子がいいなと思っていたんです ここ2年くらい悩んでいた睡眠の質も大幅に改善して、また朝が楽しみになって早起きできるようになって とてもいい流れが来てる!と思った矢先のことです 昨日仕事でかなりショックなことがあって 上の人に話をしたのだけれど、状況はしばらく改善しなさそう… 昨日はとりあえず、普段通りに仕事をして帰宅 その出来事を知ったときの心は土砂降りだったけど泣かなかった、がんばった なので自分へのご褒美にドライカレーを作って食べました 今ま
全然大丈夫じゃないときに限って「大丈夫?」って聞かれると反射で「大丈夫」って返してしまう癖なんとかしたい だからこそ、「大丈夫」っていつも笑ってる人が大丈夫じゃないときに気がつける人間でありたい
私が、すきだなぁと感じるものたちを言葉にしてみる 目をつぶって聴く音楽 視覚が遮断されるからなのか、音が波みたいに頭に流れてくる感じがすき イヤフォンで少しだけ音量をいつもより上げるのがすきです 流れる雲を眺める 風に流れながら形を変える雲を眺めるのがすき これで9時間のフライトをずっと外を眺めて過ごせるくらいすき 料理をする時間 視覚、味覚、嗅覚、聴覚をフルに使える料理は食べる時間よりもすき 食べるためじゃなくて、料理する時間のために料理してるような気さえする
新しいことを始めるとき、壁にぶつかったとき、いつも通りに進むとき、そのすべての状況で選ぶのは、口にするのはいつだって「がんばる」だ がんばれば報われるとか、そんなじゃなくて、がんばったって望んだ結果に必ずしもなるわけではないことはもう嫌というほどわかっているのだけれど それでも「がんばる」ということを選ぶのは、がんばりたいという想いだけじゃなくて私の自信のなさが理由だ 不器用すぎる私が人並みの過程を通して得られるものなんて、他の人の半分か、3分の2程度 基本的に過程重
絶対なんて無いと思ってるけど、この幸せが特別じゃなくて日常になることが1番の幸せかもしれない
大好きな友人に向けて ・・・・・ ちょうど2年前、私は全部をやめた 大学に行くのも、院試の準備をするのも、先のことを考えるのも やめた、というよりはできなくなった 朝起きることも、普通に動くのも、食べることも全部がつらかった ただ息をしてるだけでも疲れる 毎日毎日、寝て過ごすだけで時間が過ぎていって ものすごい焦りや罪悪感に襲われるのに、同時にそんな自分のことがどうでもよくて でもやっぱり、自分は怠けものだ、弱いんだって思って悲しくて悔しくて 今までどうやっ
美味しいものの最後の一口は、愛しい人にあげたくなっちゃう
「これは幸せなことなんだよ」 幼少期から、そう言われることが多かった 当たり前に生活できること 美味しいものが食べられること やりたいことができる環境があること 旅行に行けること 全部教えられて知っていた、それが「幸せ」なんだって もちろん育った環境を当たり前だと思ってほしくない、日々に感謝してほしいという気持ちで両親がそう伝えてくれていたことは理解しているけれど 自分で幸せを感じる前に、何が幸せか定義されていたからか幸せは自分で感じるものじゃなくて、決まっているも
今日は大事な友人の誕生日 出会った時は19だった友人が21になった 私の人生も友人である彼の人生も荒波すぎるけれど、知り合ってから毎年誕生日をお祝いできる喜びを噛み締めている 友人の誕生日がこれまでで一番幸せなものになっていることを願って、書く ・・・・・ 友人とは大学で出会った 当時彼は1年生で私は4年生 同じ学部で履修のことなどで迷っていた彼からの相談を受けた仲のいい私の後輩(別の学部)が、私と彼を繋いでくれたことが話すきっかけとなった お互いに人見知りだ
時間奪ってごめんねじゃなくて、時間くれてありがとうって言うことにした 伝わって欲しいのは申し訳なさじゃなくて、感謝の気持ちなの
私は人に相談するのが苦手だ 「なんでもっと早く言ってくれなかったの?」 「なんでそのとき言わないの?」 そんなふうに言ってくれる友人や家族がいるのに。 プライドが高いのかもしれない ずっとずっと小さいころから「大人の女性」に憧れてたし 何でも一人でできて、自信を持っている、そんな人になりたかった でも皮肉なことに、不器用すぎて何をするにも人の倍くらい時間がかかるのに、これが自分でできたら自信になるから、みたいに思って最後まで人を頼れない。結果、できなくて毎度自信を無く
私の生活を、心と身体の健康を支えてくれている2つのことについて 書くこと 日記は高校生のころから、noteは最近、でもここ5年以上は毎日書くことをしてきている 落ち込んだ夜や眠れない夜は、気が済むまで、もしくは眠気が来るまで書き続ける 古賀史健さんの「さみしい夜にはペンを持て」を読んでから、書く質が大きく変わって(それに伴って量も増えた)、より素直に書くことができるようになった からまって、ぐちゃぐちゃになった頭の中をひとつずつ取り出して、言葉にして綴ることで形作れ
大事な人な話をしようと思う 友人であるその子とは昨年の春ごろに共通の知り合いを通して出会った 柔らかな雰囲気を纏う友人は人の目をよく見て話を聞く人だ 会った瞬間に、「この人とは近い関係性になるだろうな」と直感的に思った私にとっては珍しい人だった その後、やっぱり思った通り同じコミュニティで一緒に活動するようになってたくさんの時間を一緒に過ごした 友人は一見朗らかで誰とでも仲良くできるように見えるけれど、全ての人と一定の距離を保っているように感じて、少し不思議な人だな