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客観するぜ


いやあ、筆が進まない。というよりなにも書く気になれない、やあやあ。しばらく文章を読まなくなるとどのように文字を書くのかさえ分からなくなってくる。エッセイやひとのブログを読むと私の中で言葉が対流を起こして鍋から溢れるけど、自分の中にある言葉だけで何かを書くのは本当に難しい。
久しぶりに何か書きたいけど何も書けない、と言う状態が続いて、文章を書くための本を読んだら「文章を書くには文章を読んで言葉を自分の中に溜めるのが重要」とあって、「あぁ〜知ってます〜知ってます自分で体感して知ってることですぅ〜」と本を閉じた。忘れてた。知ってることでも忘れると意味がない。しかし何かを書くために意欲が湧いてくる本を持って居るのは本当に幸運なことだな。ありがとう。後で本の情報載せておきます。私もっと文章を書いて文章力あげて、良くても悪くても文章を書き続けたいと思うよ。
なんかさ、文章を書く、となると肩肘張っちゃうような気がしませんか。
時代はスタンプだのスクショだの、画像や動画で自分の考えてることを表現できる時代になってきてるじゃないですか。
まったく悪いことでもなくとても効率的で、感覚を共有するには最適なツールだと思います。けど私は文章を書きたい。これは多分自分の中でずっとある感覚なんだろうなって今は思う。頭の中を表すのには絵が最強で、文章はそのうちもっともっと読まれなくなる、そう思ったときもあったけど、それぞれで描けるところはそれぞれきっと違うし、わたしはやっぱり文章で描かれる情景とか心の中や生活が好きなんだなぁと思います。
今は仕事を変えなきゃいけない時期で、アラサー的にはもうそろそろ本腰入れた仕事をしなくちゃならないことは鼓膜がヒリヒリするほどわかってることなんですけど、どうしてもやりたいことをやりたいと宣言するのが怖い。怖いから分からないふりをして、分からないふりをしたら本当に分からなくなっちゃう、これが現代の大人ですよ、子どもたち。私の後輩にはね、大人しい子だったけどトランペットを中学の部活で初めて吹いて、今はそのままプロになってる子だっているんだ。続ければ、とか、楽しむ心が、とか無責任なことは言えないけど、それで生きていける人は意外と多いもんなんですよ。
私はもっと文章を取り込んで、私の中にあるものとか私の中に走った雷鳴とか、人にかけられなかった言葉を書いていきたいと思ったよ。
明日からもっと文章を読むことにするね、自分との約束だ。


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