昼下がりの初投稿

ずっと書こう書こうと思っていたものの、半年前から登録だけして止まっていたnote。昨日夫が初投稿していたので、触発されている昼下がり。

昼下がりにこんなことが投稿できるのも、専業主婦ならではなのかもしれないけれど、逆に言うとこんな風に不意にできた間隙を縫うようにしか自分の時間を確保できない今日この頃。あと10日もすれば10ヶ月になろうという娘が微睡みそして眠りに落ちたその瞬間を見計らい、早撃ちガンマンの如く狙い撃ち、という名の初投稿。よって推敲不可。徒然なるままにそのときの気分で書いていこうと思います。

そうは言ったもののノリと勢いでPCに向かっているので、何を書いたらいいのか途方に暮れています。とうことでとりあえず自分の略歴を振り返ってみようかと思います。

自身の出自は青森県。奥入瀬の美しい自然の中で高校生まで育ちました。

都会を忌避するきらいのあった私は、お隣の秋田県の山奥にある大学へ。都会phobiaながら世界には飛び立ちたい!とアンビバレントな感情を抱えつつ、モラトリアムの四年半を秋田と地中海で過ごしました。留学中は日々母国への思慕を募らせ、1日に1回以上はswear wordを吐き、腹いせにsambucaとRedBull vodkaといいちこでインターナショナルに酩酊して、明け方、世界のBurger Kingで日本人としてのアイデンティティーを取り戻す、みたいな、今考えると信じられないことをしていました。でもそういう経験がなんとなくその後にも繋がっていたんだなぁ(本当?)

帰国後は「ド」が付くほどドメスティックな「超」日本的な企業に就職。海外留学までしてなぜ?外資とか行くんじゃないの?と思うかもしれませんが、あの頃の私は『だからこそ』あの企業に入りたかった。 この話は長くなりそうなので、また後で書いてみようと思います。

そして6年弱、大分と東京で粉骨砕身して働き、身も心も会社に捧げ、休みの日でさえも会社に向かい、プライベートは飲み会と会社行事以外すっからかん。でも楽しかった。会社が好きと言うより、一緒に働いている人たちが好きだったし、そこに受け入れられている自分のことが好きだった。

東京に異動になって、扱う商材も変わり、関わる人間も変わって、もうこの世の果てかよってくらい仕事が嫌になった。そもそも私、都会phobiaを克服していないしその時点で絶望的だったんだけど。仕事をしないでお金ばかりもらっている窓際族のオジサマ方と、ヒューマンリソースの欠乏を若手の怠惰と結論付ける、所謂「俺たちの時代は」系マネージャー。月月火水木金金。おかしな話だけど、終電を逃して丸の内からタクシーに揺られて帰る1時間弱の時間だけが心の安寧だった。そしてそんなことやってたら、案の定倒れた。

でもそれがなかったら、今の旦那様とは出会うことはなかったのです。捨てる神あれば拾う神あり。地獄に仏。大海の木片。渡りに舟。これまでの人生全ての不幸は、この幸運の対価だったんだと確信しました。そうして出会って半年ほどで婚約し、結婚し、私は憎みながらも愛した会社を退職しました。

望んだとおりに子供も授かり、昨年の夏に娘を出産。こんなに愛しい存在が他にあろうかと、毎日目潰しの猛襲に遭いながらしみじみと感じています。昨日ついに一人で立ち上がりました。子供の成長恐るべし。かくいう私は何かひとつでも成長しているのかね?と自問自答の日々。

冬には第二子も産まれる予定です。性別はまだ不明。今から待ち遠しい。年子だから実質赤ちゃん×2だよね。波瀾万丈。でも、出産で分かった。案ずるより産むが易し。

そうこうしているうちに、Our beloved little monsterが冬眠から覚めた様子。目が合ってにっこり微笑まれると、もう完敗ですね。

昼下がりから書いてたはずなのに、結局夕方に成り果てました。生ぬるい風が夏を連れてきそうで、いても立ってもいられない気持ちにさせられる黄昏時です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?