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永遠も半ばを過ぎて

当たり前の事実として、どんなものにだって終わりが来る。
高校時代から大事に使っていた三色のボールペンから、この壮大な宇宙(教科書の図でしか拝んだことはないけれど)に至るまで、例外なく終わりが来るらしい。
そんなことをこのタイトルからぼんやりと連想していた。

「永遠も半ばを過ぎて」 中島らも

このいかにも厨二心をくすぐるタイトル(永遠を限りあるものとして見做すセンス)に心を惹かれ、ブックオフの年始セールで購入した。
本の内容はタイトルから想定されるような難解なものでは決してなく、実際に読んでみるとそれは全くの見当はずれでコメディ色の強いものだった。
この小説を面白可笑しくしている大きな要因は、主人公の一人である詐欺師の相川だと思う。彼はとにかく口が達者で悪知恵が働くが、人懐っこい性格をしており、どこか憎めない愛らしさがある。面立ちについては「食パンのようにエラが張っている」と描写されているが、僕の頭の中では彼がどうしてもお笑い芸人の岡野陽一さんで再現されてしまった。特に彼が都合の悪くなった時に見せるおどおどした様子なんかドンピシャだと思う。

この本を読もうと思ったきっかけは、燃え殻さんの「ボクたちはみんな大人になれなかった」でこの小説が重要なアイテムとして登場したからである。「ボクたちはみんな大人になれなかった」を通して、燃え殻さんの中に残っていたかおりさん(彼女の好きな音楽や映画、ちょっとした仕草)が成仏したような気がした。
ここでいう成仏とは、彼女との思い出に見切りをつけて前に進むという意味では決してない。むしろお別れを言えず成仏し損なった彼女への思いを、良い記憶としてこれからも大切にしていくために行った心の整理のようなものだと思う。

僕の体の中にも沢山の人との思い出が詰まっている。僕のしゃべり方は高校時代仲の良かった山下くんに酷似している(らしい)し、毎週土曜深夜のオールナイトニッポンを楽しみしているリトルトゥースになったのは、間違いなく親友の藤田君の影響だ。そういった友達との関係も年を重ねるごとに疎遠なものになってしまう。少し寂しいけどいずれ失われてしまうものなのだし、あの頃への未練は早いところ成仏させ、素敵な思い出として胸に閉まって置きたいと思う。


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