見出し画像

みんなちがう

ニュージーランドは人当たりがいい人が多いような印象を受ける。初めましてでも、気持ち悪いほど明るくもなく、にこりと会釈したり、ウインクしたり、軽く挨拶する人が多い。多いというのは8割くらい。

もちろんそうでない人もいる。

露骨に特定の人種やエスニシティの人を嫌う人たち。きっと不幸にも無意識のかなり深いところまで強烈な体験が染みてしまった人たちなのだろうと思う。家庭の環境であったり、職場や学校とか道端とか・・・。

ちなみに「人種」という捉え方は欧米の感覚らしく、従来の人間は肌、髪の毛、目の色とか見た目の特徴で区別していたらしい。まぁなんか人種ってよくわからなくなるもんね。

自分は幸いにもいろんな人たちと交流していたからが、あまり人種やエスニシティで判断はしない抵抗力がついていたと思っている。いや、思っていた。

しかし、人の心は面白いもので本当に諸行無常だ。

完全に中途半端な運転をしていた自分が悪いのだが、白人運転手に露骨に罵られると「そんなに?」とムカムカしてくる。それが連日続くと無意識にも悲しい被差別意識が芽生えてくる。すると反作用のように怒りの差別意識も生まれてくる。

夏休みに入って連日のバイトにも疲れているのもあるのだろう。アルバイトの接客中も、客がクスクス笑っていると馬鹿にされた気分になり、なんだこのやろうとアウトレイジ気分になってくる。

いかんいかん。8割に目を向けよう。

8割に目を向けると、不思議なことに気持ちが楽になる。クスクスも気のせいだと思えるし、なんだったら哀れみの感情で捉えることができる。罵られた情景を思い出すと苛立つが、明らかに自分が悪いし、あの一瞬で何も判断することはできないと気がつく。

アジアンフォビアはどこにでもある。コロナや昨今のNZの中国パワーはものすごいらしく、現状の生活に不満がある人なら普通の感情でもあるような気がする。

そして、事実として、自分の中にも差別意識の芽があるんだなと認識した。

感情は止められないものだけど、行動は変えられるものだと何かの本かセリフかで聞いたことがある。疲れている(考えるのを止めてしまう)と思っていた以上に感情に行動が持っていかれてしまうんだなぁと今回気づいた。

のんびり自然を楽しもうと思うので、今日は寒いけど人生初のサーフィンやってみよう♩