石楠花
花言葉は「危険」や「用心」。
勿論、笑顔満点の楽しそ〜〜うな写真ってのも撮るのですが、マジになって撮ったやつは意図してそうしたもの以外は真ん中よりはマイナス方向の表情、顔つきである印象の写真が多いですね〜。
求めたものが結果それであっただけの話で、こういうのを撮りたくて撮ってる訳ではありません。
・・・・と書いてみたは良いものの、随分語弊を招きそうですので何か言い換えなければ・・・
「こんな写真撮りたいな」というイメージでは無いという事です。
その時の自身やモデルの心情、撮影場所、気候、着てる服、昨日酒を飲んだかどうかなどなど、埃も残さずそれまでの全てを詰めるとこんな具合になるってだけです。
ぼんやりと普段から描きたい絵を探して見つけていますが、写真はそれを忠実に表現できないので、デフォルメしてるような感覚です。
詳しく書いていきます。
私は、多くとまでは言いませんがあちこちで野生動物たちをこの目で見て、写真に収めてきました。
途方もない時間の積み重ねで獲得した尋常じゃないレベルの能力を持ったあらゆる野生の命たちの中でヒトが、野生で彼ら彼女らと対峙するには身体能力ではあまりに脆弱すぎます。
その中で唯一、他の生き物の追随を許さない能力は「創造力」だと思います。
しかし、色々な桁違いの能力を持った、ヒトを含む全ての生命は「死」という逃れられない門をくぐらねばなりません。
ヒトは極めて狭い場所での高度な精神性を持った引き換えなのか、同種他個体を、感情や社会集団、精神集団が作ってしまった制度やしきたりという名前のお粗末な網目のカゴで、個人対個人、集団対集団、襷掛けの方向にも殺害するという行為のみならず希死念慮、そして自刃という不思議な生態も持っています。
また、「葬儀」という独特な方法を編み出しています。それはこの現代に於いて「食物網」という括りには入らない少し変わったものですがそれは置いといて・・・
話を戻しましょう。
ヒトが生存するにあたって最も強力な武器は「創造力」だと言いました。
そして、どんな能力を持った生命も必ず終わりを迎え、次にその生命を繋げる「生き死にの繰り返し」(「進化」という言葉に置き換えましょう。)、
それをしなければならないと言いました。
無限に等しい創造力と、必ずひと世代で区切りを迎える進化。
見事なくらい、矛盾したこの二つの両面を歩かないといけないヒトという生き物が持つ「コンフリクト」が醸し出す、蜃気楼のような、不気味なモヤモヤや情景を写真を使ってデフォルメ化しています。
私の推測では、そのコンフリクトは、ヒトに生まれたからには必ず、常何時もそばにいるような「死」と、遠からず近からず、似たような存在である・・・といった具合です。
ファインダーを覗くとき、全く別の世界のそのモヤモヤと、現在のファインダーから見える現実状況を、重ね合わせ、モデルのできる事を踏まえた上で考え、構図やポーズを指示します。
その一瞬に今までの自分を全て一気に詰め込む・・・まぁ、それなりに疲れることではありますが、やはり収めた写真を見返すと生きている実感が湧きますね。
私がヒトという生き物を美しく思うのはその葛藤がレンズを通すと面白いくらい見えるというのが理由の一つですかねぇ、今のところは。
創造力、進化、切っても切れないその二つは、ヒトという生き物を大いに救い、大いに苦しめて参りました。
私が撮る写真はその二つと、その二つで生じるコンフリクト・・・それらへのちょっとした感謝みたいなものでございます。
誰しもが表現者でございます。皆様の日常にたくさんの祝福が訪れますように。
では、ごきげんよう。
お楽しみいただけましたら幸いです^^