見出し画像

ベルサント・セリーナ 恩返し弾の裏側と故郷にまつわる苦労

※この記事は2019年3月26日に執筆したものです。


先週末のFAカップ準々決勝、マンチェスター・シティ戦で"恩返し弾"を決めたベルサント・セリーナは、19歳でプレミアリーグデビューを果たしたいわば逸材です。


「神が与えた才能」


イプスウィッチ時代の指揮官、ミック・マッカーシーは彼をそう言い表しました。


世界中から降りかかった嘲笑


普段はユニークなゴールセレブレーションでファンを楽しませる22歳が、この時ばかりは様子が違いました。


「そんなに俺を批判したいか?」


古巣であるマンチェスター・シティを相手に素晴らしいゴールを決めた前半28分。仲間からの祝福が終わるのを待つと、おそらく、カメラに向かって"そのようなニュアンスの何か"を強く言い放ったのです。


その背景の説明は、残念ながら必要ないかもしれません。


画像1


約3日前に行われたWBA戦、今季6ゴール目を懸けてペナルティスポットにボールを置いたセリーナ。


しかし無情にも、シュートは意図しない方向へと転がっていきました。



同点のチャンスを逃したスワンズ。「何がそんなに愉快なんだ?」とグレアム・ポッターの擁護も虚しく、「WORST PENALTY EVER」とまで揶揄されたこの場面は、世界中へと広まっていきます。


翌日に自身のinstagramを更新した"当事者"。


「僕が落ち込んでいると思っているであろう皆さん、君たちは本当に間違っているよ。モチベーションをありがとう」


そのように締めくくられた投稿は、結果的に最高の伏線となりました。


「両親はすべてを捨てて僕を守った」


「それについて多く話すのは好きじゃない。だけど、大変な時間だった」


1998年にコソボで生まれたセリーナ。しかし当時のコソボは、解放を求めるアルバニア人とユーゴスラビア軍が激しく対立。コソボ紛争と呼ばれるこの一件によって13000人以上の死者を出しました。


国境から20マイルほどのところに住んでいた彼とその家族は危険から身を守るため、ノルウェーのドランメンへの移動を余儀なくされました。2歳での出来事です。


「僕の両親は全てを失い、最初から始めなければいけなかった。戸籍から学校、仕事もね。僕らは異なる国で移民になった」

https://www.walesonline.co.uk/sport/football/football-news/manchester-city-swansea-city-kosovo-15031501


ドランメンにはコソボから避難してきた人が多く住んでいました。家族、父のいとこと共にスカンディナビアで育ったセリーナは、近所のコソボ人の子供たちと毎晩5~6時間もサッカーの練習していました。その後地元のストレームスゴトセトIFと契約を締結。最終的にはU15からU21年代のノルウェー代表としてプレーした経歴を持っています。


「ノルウェーは本当に素晴らしい国だった」と話すセリーナ。その一方で、彼がそれ以上の思い入れを持っているのが母国・コソボです。


画像2


2008年2月17日、コソボ自治州議会はセルビアからの独立宣言を採択します。


UEFAに加盟したのが2016年、それ以降は国際大会にも出場できるようになりました。


セリーナはノルウェー代表としてプレーできない悲しみを感じつつも、生まれ故郷であるコソボの代表としてユニフォームを着る決断を下しました。


彼はのちにこう振り返っています。


「僕はコソボのためにプレーしたかった。そうすれば国を築き、名を成し、良いチームを作る助けになることができる。コソボに帰ると、家に行ったような感覚になる。僕らは自分たちの国のために、フットボール以上の何かをしているように感じているんだ。


僕はロールモデルになりたい。良いチームを作ってコソボを助け、いつの日かキャプテンになることを望んでいる。それが僕の成し遂げたいことだ」

https://www.independent.co.uk/sport/football/fa-league-cups/bersant-celina-interview-manchester-city-kid-with-big-ambitions-for-kosovo-a6884646.html


幼少期だったため、セリーナにはノルウェーへ引っ越した際の記憶がありません。つまり彼にとってコソボとは、"暮らした記憶が存在しない故郷"であると推測されます。


それでも自らの意思に従って選択をし、選手一人ひとりが異なる"ストーリー"を持った代表チームでの時間に誇りを持っています。


2019年3月26日現在、セリーナはコソボ代表として9試合に出場しています。そして先日のデンマーク戦では、夢への第一歩となる代表初ゴールを記録しました。


世界有数のクラブで得たもの


画像3


彼の類まれな才能に早くから目を付けていたのがマンチェスター・シティでした。そしてまだ在学中だった15歳、プレーの場をマンチェスターに移すことを決めました。


セリーナは2016年2月のレスター・シティ戦でプレミアリーグデビューを飾ると、限られた時間で初アシストまで記録。


鮮烈デビューが功を奏してその後もカップ戦で出場機会を得ますが、デビューから4か月後となる2016年8月にオランダのトゥエンテへローン移籍が決定。続くシーズンもチャンピオンシップのイプスウィッチで過ごすと、契約期間を残した状態でマンチェスター・シティを去ることを決断しました。


画像4


移籍先はプレミアリーグから降格した直後のスウォンジー・シティ。移籍金£3m(transfermarkt)、4年契約での加入でした。


マンチェスター・シティでの6年間について聞かれたセリーナは、Manchester Evening Newsのインタビューにこう答えています。


「マンチェスター・シティで成功できなかったのは全く恥じることではない。スタンダードはとてつもなく高くて、若い選手がファーストチームで地位を確立するのは本当に難しいんだ。

僕はディアスやサンチョと同じ時期にクラブにいた。彼らは本当に素晴らしいプレーヤーだけどチームを出た。定期的にプレーしたかったからだ。それは僕にとっても同じだよ。

シティでプレーしていた時、マヌエル・ペジェグリーニが監督で彼は僕にプレーするための自信を与えてくれた。トレーニングや試合ではファーストチームに帯同して、彼らのそばにいると感じていた。僕はここから外れたくなかった。

彼ら(ディアスとサンチョ)は僕のように、自らの才能を信じていた。でも若い選手たちにとって、素晴らしい選手たちを通り越して地位を確立するのは難しい。

もちろん、僕はそこで成功したかった。でもシティは世界のベストプレーヤー達を持っている。アグエロ、ダビド・シルバ、ケヴィン・デ・ブルイネ、ラヒーム・スターリング、フェルナンジーニョ。彼らはトップレベルで数年に渡って成功している。

彼らを越すことなんて、信じられないと思うに違いない。でもトレーニングやファーストチームで彼らと一緒にプレーした素晴らしい経験や教育を、決して忘れることはないだろう。

もし僕が望んで残っていたら、今もシティの選手でいるだろう。僕の契約は2、3年残っていた。でもそれをするのは無意味だ。

僕は単なるローン選手ではなく、自分をそのクラブの選手として正しく評価してくれるクラブに行きたかった。だから今のところ、シティを去ったことに後悔はない。僕はスウォンジーでとても幸せだよ。」

https://www.manchestereveningnews.co.uk/sport/football/football-news/man-city-bersant-celina-swansea-15952080


シティでの恩師を1人挙げるとすれば、それはトップチームで起用してくれたマヌエル・ペジェグリーニでしょう。セリーナはペジェグリーニから次のように言われたと明かしています。


「本当に感謝している。彼のことが大好きだし、彼も同様に僕のことが好きなんだと感じている。彼は僕に「スキルを示す必要はない、それが自分(セリーナ)をより良い選手することにはならない」と話した。彼は全てをシンプルに続けること、そしてボールを失うなと言ったんだ。僕はシルバを見て学んだ。彼がパスを出す方法や、どうやって相手に注意を払ってボールを失わないようにしているのか。全てのディテールは試合の中にある」


スワンズ移籍は"Best Decision"



スウォンジー移籍を決めた理由を聞かれた彼が、何よりも最初に話題にしたのは指揮官・グレアム・ポッターのことでした。


「スウォンジーが僕を獲得したいと聞いたとき、ベストな移籍になると思った。なぜなら、監督が良いフットボールをしたがっていることを知っていたからだ。僕は監督がエステルスンドでやったことを見た。彼らがアーセナル相手にプレーした方法も目にした。彼(ポッター)とクラブが僕を欲したとき、移籍に疑いはなかったね」

https://www.swanseacity.com/news/celina-swans-perfect-me


グレアム・ポッターはセリーナのライン間でプレーする"10番"の能力を高く買う一方で、そのユーティリティ性にも厚い信頼を寄せています。


実際に開幕節のシェフィールド・ユナイテッド戦では、前半の途中から4141のアンカーとしてプレー。アンカー、インサイドハーフ、2ボランチ、トップ下、サイドハーフ。試合中に柔軟な修正を繰り返す名将・ポッターと、どのポジションでもそん色なくプレーできるセリーナは、それぞれが良き"理解者"と言っても差し支えないでしょう。


画像5


今季リーグ戦では33試合5得点。スワンズの攻撃における紛れもない中心選手であることを考えると、この数字には到底満足していないはずです。


それでも本人は今のクラブが目指しているスタイルに強く共感しており、加入から2ヶ月で「スウォンジー移籍は人生の中でベストの決断」とコメントしています。


選手流出が相次いだプレシーズン、指揮官は「スウォンジーのためにプレーしたい選手で戦う」と強く宣言しました。


降格によって傾きつつあるクラブに希望をもたらしたセリーナは、そんな"スワンズ新時代"を象徴する1人なのです。


さいごに


あの日の試合序盤、セリーナは足を痛めてピッチに倒れこみました。


ベンチにはジョエル・アソロがユニフォーム姿に着替え、ポッターが詳細な指示を与えていました。


それでも彼はプレーを続行。そして前半28分、今度は世界中で話題になる"ゴール"を古巣のネットに突き刺したのです。




戦乱によって故郷を追い出されながらも、フットボールを通じて母国に恩返しを続けるセリーナ。


PK失敗による周囲からの嘲笑をもモチベーションに変え、有言実行を果たすその逞しさに、私たちはより一層引き込まれていくことでしょう。


画像6


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?