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【レポート】舘野泉 記者懇親会(1)

ライター・千葉望

6月28日、北青山にあるスタインウェイ&サンズ東京において、舘野泉の記者会見が開かれた。今年米寿を迎える舘野は、例年誕生日前後に「バースデーコンサート」を開催し、委嘱した新曲を披露することにしている。今回の記者会見ではそれに加えて、評伝の出版などいくつものトピックスが紹介された。

フィンランドで出版された評伝を日本でも刊行

新たに発売された評伝「奇跡のピアニスト 舘野泉」

記者会見はまず、フィンランドで出版された初めての評伝が日本語版となって刊行されるという話題からスタートした。これまで舘野の評伝は日本で4冊出版されているが、どれも彼が脳出血で倒れて「左手のピアニスト」として活動するようになってからの話が中心である。今回、フィンランドのオルガニストで文筆家でもあるサリ・ラウティオが執筆した『奇跡のピアニスト 舘野泉』(みずいろブックス)は、そのはるか前の子ども時代、それも戦争体験から描き出されるところに特徴がある。ラウティオが舘野に評伝執筆を持ちかけたのが2019年のこと。その後何度もインタビューを重ね、来日取材も2回行われた。間宮芳生、吉松隆、光永浩一郎ら日本を代表する作曲家も協力している。

「ここには、異文化からやってきたピアニストがどうしてここまでフィンランドで活動できたのかということが、日本とは違う視点で描かれています。ヨーロッパの人間から見た姿がおもしろいと思うんです」(舘野)

フィンランド版のタイトルは『IZUMI TATENO ピアノのサムライ』。インタビューではいつも柔和な表情を見せ、よく笑う舘野だが、作曲家たちが腕によりをかけて生み出す新曲に毎年挑戦し続けていることを思えば「ピアノのサムライ」が決して大袈裟な表現ではないことがわかるだろう。以前インタビューの際にいくつか楽譜を見せてもらったことがあるが、難易度の高さにうなるしかなかった。楽譜に込められた「舘野さん、これ、弾けますか?」という作曲家の挑戦に、ピアニストは「やってやるぞ」という闘争心で応えているのである。

フィンランドで出版された「IZUMI TATENO PIANON SAMURAI」

私は渡された本を夕方から行われた記者会見の帰りの電車で開き、その日のうちに半分ほど読み進めた。翌日に読み切ってしまったのは、舘野の言う通りラウティオの視点が新鮮だったことと、フィンランドの関係者にもしっかりと取材を重ね、重層的な構造になっているからだろう。日本ではすっかり「左手のピアニスト」として定着した舘野だけれど、それ以前には二手のピアニストとして縦横に活躍してきたのである。その歩みをもう一度振り返ることができたのは私にとっても大きな収穫だった。「左手のピアニスト」になってから舘野のファンになった人も少なくないと思うが、この評伝によって二手時代の録音にも触れる機会が増えることを願う。

舘野は昨年3月、長く連れ添ったマリア夫人を喪った。メゾソプラノ歌手だったマリア夫人は公私共に舘野を支えたかけがえのないパートナーであり、彼女の死の衝撃は大きかったはずだ。

亡き妻・マリアさんと

「フィンランド版には写真がたくさん入っていますが、マリアは日本でこの本ができることをずっと心にかけていましたので、日本語版には彼女の写真も多く載せてもらいました。素晴らしい本になったと思います」

そう言って、舘野は少し涙ぐんだ。

インド・ブータン・ネパールへの旅
例年ならフィンランド中部にあるハイクポポヤの涼しい別荘で過ごしているはずの9月、舘野は暑い日本からインド・ブータン・ネパールへと飛び立つ。これまでも「クラシック音楽の本場」以外に多くの国々で演奏会活動を行い、その思い出を自らエッセイに書き残してきた。そういう国では起こりがちなアクシデントすら楽しむだけの好奇心は健在である。今回はいよいよ、「最後に行って演奏したい国」として舘野が挙げていたネパールとブータン、そしてインドへの旅が実現する。

「どこも西洋のクラシック音楽とはあまり縁のない土地です。インドには40年前、フィンランド外務省の手配で行ったことがあるのですが、若い大学生たちと話をしてもバッハやベートーヴェンなんて誰も知らないんです。ショパンも知らない。その時はムソルグスキーの『展覧会の絵』も弾きました。それがインドで初めてのピアノ版『展覧会の絵』演奏だったはずです」

40年前・デリーにて

デリーとボンベイで開かれた演奏会に来たのは300人くらいの外交官や商社マン。駐在生活ではインドの伝統音楽しか触れられない。皆、「今日はやっとシャワーを浴びたような気分になった」と喜んでくれた。しかし今度はどの国でも現地の人たちが対象となる。

「どういう経験になるか、僕も楽しみです。40年前のインドのリサイタルでは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番『テンペスト』にショパンのピアノ・ソナタ第3番、そして『展覧会の絵』を弾きました。今回はまだ決まっていないんです。今までアジアでコンサートを行う時は『みんなクラシック音楽のことはよく知らないのでやさしい曲を』と言われたものですが、僕としては質が高く良い音楽をやるのが本当のあり方だと思ったのでミャンマーやラオスでも同じようなプログラムで通し、それが喜ばれました」

ブータンでは特別支援教育を受ける子どもたちも聴きに来るコンサートということもあり、今、知恵を絞っているところ。吉松隆の『三つの聖歌』(シューベルトの『アヴェマリア』、カッチーニの『アヴェマリア』、シベリウスの『フィンランディア讃歌』を左手用に編曲したもの)など、日本の曲も候補に上がっているという。帰国して再び舘野によって報告記が書かれるのが楽しみである。

⇒【レポート】舘野泉 記者懇親会(2)へ続く


バースデー・コンサート 2024
舘野泉ピアノ・リサイタル
2024年11月4日(月・祝) 14:00 東京文化会館 小ホール

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