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辛さを連鎖させるママ友ならいらない。子育てという暮らしに、仲間がほしい。仲間について宮台真司のことば。

法を破ること・本当の仲間をつくること

復習です。「法が破るためにある」と言えるのはなぜか。破ることで「誰が仲間なのか」がわかるからです。僕は「法外のシンクロで仲間がわかる」と言います。

日本など先進国が過去20年余りのグローバル化のなかで経験してきたのは、仲間の消滅です。誰が仲間かわからず、法に神経症的に固着する人も出てきました。

たとえば、ヘイトスピーチ。愚かな差別意識から生じているよりも、「法外のシンクロで仲間がわかること」から見放された人たちが不安で右往左往しているだけ。

6つの小学校に通いましたが、転校生を守ってくれたのは女子とガキ大将でした。ガキ大将はヤクザの子。「ヤクザの子とつきあっちゃダメ」が世間の了解です。

でも僕はつきあいました。他の子と違って、いつもミソッカスの弟を遊びの輪に加えてくれたからです。世間がダメというからかえって強い仲間の絆で結ばれました。

こうした経験から体感的にわかったことがあります。決まりのなかだけで「いい子」として生きる者には、本当の仲間が永久につくれないことです。

法に過剰適応した人は、自動機械みたいにコントロールされます。母の肯定に過剰適応した人が、自動機械のようにコントロールされるのと、同じです。

法への依存や母への依存をやめれば、言葉の自動機械であることをやめられます。そのことで「もっと人になれる」のです。子どもをそう育てるべきです。

もともとは法よりも先に仲間があった

僕たちの本体は、法の外にあります。法外のシンクロで、仲間かどうかわかります。

仲間を守るために、法を守り、破ります。本当の正義は、法外にあります。

法内で身内の利益をコソコソ最大化する浅ましい営みとは、違います。僕が言うことが腑に落ちる人は、仲間の絆をつくるのに必要な共通感覚を弁えています。

そんな共通感覚を確かめる機会が、祭り。だんじり祭や御柱祭はかつて毎回死者が出ました。法外の共通感覚を、渾沌のなかで取り戻そうとするからです。

そんな共通感覚を生きる人は、法内の日常を生きることが、一種の〈なりすまし〉だと知っています。そうした生き方が、長い歴史のなかで保たれてきたのです。

4万年以上前は言葉がなく、うただけがありました。1万年以上前は定住を知らず、狩猟と採集のために遊動していました。

定住以前は150人以下の仲間集団(バンド)で遊動しました。共通感覚を利用した生存戦略で生きていたので、法はいりませんでした。他の類人猿と同じです。

仲間集団同士では絶えず殺戮がありました。仲間集団内では1対1でない性愛が普通でした。カオスに見えますが、あうんの呼吸で一体となった仲間でした。(『ウンコのおじさん』2章「コントロールすることの愚」より)


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