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先輩後輩という言葉が苦手

ずっと昔、中学生だった時から「先輩」という言葉にとても違和感を覚えていた。その違和感は今でもずっとあって、他人からその言葉が出るたびに言いようのない気持ち悪さを感じてしまい、気持ち悪さを感じたことに自己嫌悪し、悪循環のまましばらく引きずってしまう。この感情の動きに対しては今のところ自力での解決策はなさそう。

私が中学生になったころ、元号が平成に変わった。正直昭和天皇なんて全く興味がなかったし、新しい平成天皇も「ちょっと若いおじいちゃんに変わった」くらいのもので、ご多分に漏れず「平成」の額を持っている小渕さんの方が印象深い。

そんな時代の変換期に私は中学に入学した。そして人生で初めて出会うのだ、数々の「先輩」という名称を持った1歳2歳年上の人たちと。

そもそも、小学生のときから彼らは居たはずだった。タメ口で会話し、時々一緒に遊び、いろんなことを教えてもらったはずだった。その時、学年の差こそあれ彼らは確かに対等だったはずだった。

それが中学という一つ上の学校に入った途端、どうだ。

入学式のことだったと思う。私には二つ年上の従姉がいて、セーラー服のタイを彼女にお願いして作ってもらった。その当時は、ただの三角形のタイにきれいにひだを寄せて真ん中を留め、一番長い辺は安全ピンでギャザーを寄せ、襟のラインからふわっと広がるように結び目は小さくするのが流行りで、新入生の私にはとても作れるものではなく、また彼女も嬉しそうに「作ってあげる」というものだから私は安心して任せてしまった。

新三年生になる彼女が作ってくれたタイはそれは綺麗で名札もばっちり隠せる、完璧な出来上がり。私は本当に嬉しくてワクワクしていたのを覚えている。意気揚々と学校に行き、友達と合流ししばらくの間は何も気づいていなかった。そんな私を見かねたのか、友達がこっそり耳打ちしてくれたのだ。

「あんた、先輩から睨まれてるよ」

あんた、せんぱいからにらまれてるよ。寝耳に水。そして理由がわからない。引っ込み思案でかなりおとなしい方だった(と思う)私は焦った。

まず、「先輩」って誰なの。そして原因は何なの。

原因の一つは割とあっさり分かった。しかも新しい担任の口からクラス全員の前で名指しされ指摘されるというオプション付き。

「ああいう風にタイで名前を隠してはいけません!」

なんという公開処刑。私は居た堪れなくなって、走ってそこから逃げ出したい気持ちを懸命にこらえ、そっと名前が見えるようにタイの位置をずらした。新しいクラスメイトのひそひそが辛い。

残りの原因は「先輩」のひそひそを(どうやったのかは知らないが)聞きつけた友達から「なんかタイをそんな風に小さく結ぶのって先輩しかしちゃだめなんだって」と教えてもらった。

だから「先輩」って誰。何なの。しょっぱなから「目を付けられ」たらしいけど「目を付ける」って何。

ひそひそしている「先輩」の中には小学生の時は仲よく遊んでいた近所のあの子もいた。悲しかった。単純に仲良しだと思っていた人が、急に敵になったことが。自分が他人から分かりやすく嫌われたという事実が。幸い従姉がいたおかげでそれ以上は何もなかったが(しかしそもそもの発端はその従姉が結んだタイである。)私にとっては本当に衝撃的な事件だった。

そんな感じで中学に入っていきなり出現した「先輩」「後輩」という関係性にその後も全く馴染めなかったし、今も引きずっているこの気持ち悪さはきっとその時発生してそのまま残り続けてしまったのではないかと思っている。

相手が年上というだけでこちらが謙ることを強要され、相手が年下というだけで威圧的な態度をとることを良しとされてきた中学時代。「不良」文化がまだ少し残っていて、他校の「不良」が漫画よろしく乗り込んできたりする恥ずかしい時代。

やがて足首まであったスカートの流行りはだんだん短くなりあっという間にミニスカートに変わった。そんな大きな変化の三年間だったにも関わらず上下関係はしつこく存在し、卒業するまでついに薄れることはなかった。きっと今でも多少残っているに違いない。儒教精神大好き日本人だから。

こんな風に過去を振り返って、きっと原因はあれだと突き止めたところでこの気持ち悪さはきっと一生消えることはないのだろうな、と思うとちょっと悲しいけれど、そもそも「先輩」という言葉は何にも悪くないしそれを使う人たちも何にも悪くない。

だけど、気持ち悪くなってしまう私もきっと悪くない、と思うのだ。


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