『速水御舟随筆集』

捕らえられた、と思った。続いて、逃げられない、と思った。飛べなくなるまで焦がされて、ここで煙となるのだろう。

速水御舟(1894年~1935年)は、大正・昭和初期に日本画のあらたな境地を拓いた画家である。『炎舞』は御舟の中で最も知られているだろう作品のひとつで、巨大な炎に巻き上げられた蛾たちの羽ばたく姿を描いたものだ。『炎舞』の実物を初めて目の当たりにした際、竦んだ。音の一切が消え、ただ眼の玉だけがそこに据え置かれるような感覚だった。周りを多くの人の行き交う美術展で、これまで無かったことだった。
暗さを強調した、決して広くはない展示室は、ぐるりと絵で囲まれていた。先に通路の無い、独立した部屋だった。
逃げたい。でも、居てしまう。制御できない力がはたらく。

下からカーブを描く炎は一種の文様のように抽象的でもあり、しかし、しばらく観ていると、その実態が単に「美しい」だけではないのだと気づかされる。橙色の煙と輪郭を共にするように溶け込んでいる一匹を見て、その熱さを思う。炎から僅かに離れている個体も、からだのすぐ後ろに煙の色は纏いつく。
命を奪われるかもしれないのに、吸い寄せられていく本能は、哀れさ、などのような人間の感情には置き換えられないだろう。それはただ理であり、虫たちに意識はない。居たい、からいるのではないのだ。居てしまう、その仕方なさが事実だ。

意識では測れない領域。それは、御舟が心に置いたもののひとつであると思われる。
最近出版された『速水御舟随筆集 梯子を登り返す勇気』(平凡社)より一部を抜粋する。

「『……こういう絵を描きたいと最初は意識的で、計画的であっても、現れることに齟齬を来し、画面を洗ってしまうとか、描き直すとかやっている。やっている中に最初の意識とか、計画が考えられない処へ来る。それが本統で、そこが自分の住んでいる境涯で、直接的に現れてくるものでなく、余程遅れたものが現れてくるような気がする。』」(p.118「一問一答」)

『炎舞』の蛾たちが、意識的なものを遠ざけようとした御舟そのものの姿とつい重なってしまう。それは綺麗すぎる論の回収かもしれない。あとがきにて、岸田劉生が「美のセンチメンタリズム」について述べているが、センチメンタルになってしまったのは鑑賞するこちらであった。

御舟は絵を描くときに「理想化することが強く、絵を作りすぎる」と友人の画家に評されて、それを省みて観察、写生を訓練したという。けれども、最後に御舟の独創性として残ったもの、それこそが、自らの理想とする美を見たい、という逃れがたい欲求でもあったのではないだろうか。

わたしはこの画家を理想化しまったかもしれない。それでもいい。身を委せよう、と思う。
御舟の随筆は、慎重な言葉選びながらも鍛えられた描写の感度が惜しみなく発揮されている、類いまれなるものだ。その絵画論は、他の芸術分野から見ても頷ける部分があるだろう。
新境地を切り開き、余すところなく映し出す光る刀が暗闇、静かに置かれているようだ。

蛇子

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