momo

ミヒャエルエンデの代表作。

ずっと知っているし何度もトライしたけれど、子育てがだんだん落ち着いてきて、社会情勢もゆっくりかんがえる余裕がでてきた今、

100分de名著を通じて、初めて内容を理解させてもらえた。

子育てを通して、また父の死を経験して、でないとわからなかった、かもしれない。

今まで自分が何とかしなくては何も始まらないし、うまくいかないのは、自分の性格のせい、勉強不足のせい、生い立ちのせい。常にせき立てられる「自我」という能動的な行動につきると思ってきたけれど。

どうやら、真逆。が真実。

自分は、神によって生かされている受動的なものであり、だれの人生もそれでいい。すばらしいもの。すでに認められているもの。

momo を通して、豊かな時間を問われている。

ここででてくる「星の時間」

「みずから」能動的に動くと、空回りする。
でも「おのずから」受動的を待っていても始まらない。

機を待て。という言葉とか、
言葉を作るときは、熟考したあとはすべて忘れろ。とか、
果報は寝て待てとか。ある落語家は「果報は練って待て」と。

そういう格言を代用すると近い。

先日、NHKの最後の講義で出口治朗さんは、
・好き嫌いをすてて、すべてYES!
・自分で選べるのではなく、出会いの中で人生が決まる。焦る必要はない。一生かかって探せばいいだけ。
・流れ着いたところで一生懸命がんばればいい。とおっしゃっていた。

「星の時間」というのは、その言葉にも繋がっている。
大きな流れの中で立ち止まることなく、かたちを変えて行くすべて偶然の事象に喜び、考え、そしてまた自分もかたちを変え、どうしたいのか?を求め続けていく中で突如降りてくるものと言ったらいい?

「星の時間」=「豊かに暮らす」ということは、欲しがらなくても、そこにあるだけで十分だと思える暮らし方。昔の私が正しいと思っていたこと「こだわり」。それを解放し、目の前にあるものとどう生きて行くかを追求し続けることだと今は思える。

それは、目の前には見えない、不確かだけれど、確実にそこに生まれている暮らし。

こうして今言葉にまとめようとしても、ふと席を離れると、あ、違う。こういうことかもしれない。と言葉が生まれてくる。
それが考える人だけに与えられる星の時間。愛おしい時間。

「みずから」能動的に動くと、空回りする。
でも「おのずから」受動的を待っていても始まらない。

星の王子様しかり、MOMOしかり、大切なものはつかめない。いつも俯瞰した自分をみる楽しさをもちあわせよう。


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