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あなたはあなたのままで完璧??じゃないです!!

今回も、上記の本、第3章「you're perfect the way you are」つまり「あなたはそのままで完璧!」を読んで、この世の生ぬるい、甘い言葉がどれだけ多くの人を苦しめているかを知ることができました。



ゆとり世代の方って上記のように育てられている傾向が強いと思います。私は小学校の卒業式の時SMAPの「世界に一つだけの花」を題材にどなたかが、卒業生に激励を言葉をくれたのを思い出しました。


「君たちは世界に一つしかない花で、何にもかえられない。ナンバーワンになることに集中するんじゃなくて、オンリーワンの特別な存在としてこれからも人生を楽しんでください。あなたはそのままで完璧です。」


では、オンリーワンの私ってだれ?どれが私?親といる私、友達といる私?家で一人でいるとき私?これで、完璧ってそういうこと?体型もモデルみたいじゃないし、着たい服も着れないし。成績だって大したことない、成績を伸ばさないと志望高校には合格しない。それでいいってこと?わからん!!いや、絶対ちゃうやろーーーー。


そうやって思春期を迎え、時間は過ぎ、多くの人はそのまま大人になります。


大人になっても解決しない私たちは思います。


自分自身は何者で、生きる目的は何なのか?

たくさんの本を読み、経験したり、尊敬するメンターや先輩の後を追いかけます。


しかし、解決に至っているでしょうか?結局なんか追い求める前よりも疲れ果て、満たされず、ある意味、開き直って、自分は、こんなもんかで終わっていませんか?



自己啓発や自己肯定感向上をうたう人たちが言葉でこんなのがあります。「あなたはそのままで完璧。ただ、両親が、社会が、他人が、資本主義が本当の私を、抑圧し、そして、あなたの潜在能力、うちに秘めているものを傷つけている。」

つまりあなたの中に潜むあなたは本当は完璧なのに、あなたの周りがそれをだめにしており、あなた自身は完璧な存在なのです。


続けて、彼らはこう言います。「私の本があなたは完璧であるというのを気づかせるわ。」「あなたは完璧よ。この10個の真言を繰り返せばそれが真実だと納得させるわ。あと、あなたの性格のタイプ知って、それを使いこなすことが、あなた自身が完璧であると裏付けるわ。」

あなた誰であるかを、彼らの本や商品を通して、知ることができるということ。


著者はこの「あなたはそのままのあなたで完璧よ。」というフレーズはトロイアの木馬(巧妙に相手を陥れる罠)となると注意喚起しています。その理由は、彼らの商品やプログラムが私たちの人生をよりよくすると約束するために、このフレーズを使うからです。

よく考えてみてください。もし私たちがそのままで完璧なら、彼らの商品を買ったり、利用する必要はありますか?



著者ははっきり言います。「私たちは、私たち自身は、完璧ではないし、将来そうなることも決してない。」



聖書的には自身というのは”古い自分” ”新しい自分”があります。

古い自分は罪や、失望、愛を探し求め、満足感をを間違った場所で得ようとします。古い自身は完全に堕落し、希望はなく、神の敵であり、破滅へとむかう。これが、キリストから切り離されている私たちです。

新しい自身は神様によってその心が救われているので、希望は永遠に続き、喜びはあり、この上ない、平安があります。

この新しい自身は神様が教える善意と正義と真実をしり、神様は聖霊を通して新しい自身がそれを追求する励ますのです。


「あなたはそのままのあなたで完璧よ。」というフレーズは否定されるべき私たちを受け入れるようにしたり、私たちのために言い訳を作るよう導きます。

でも、本当は、私たちは完璧でもなく、十分でもないのです。それでいいんです。そうなる必要もないし、そうなることは決してないのです。

神様は彼の能力と救いを示すことができるように、私たちをそうなりたいと思うように作ったのです。

そうなりたいと思って、自分自身を追求するのではなく、神様の能力と救いに目を向けて、頼ってほしいのです。自分を追求したとしても、結局自分は完璧でない、十分でないということを気づかされて自分に落胆するだけですから。

”自分は完璧ではない。でもそれでいい”という考えは、私たちが完璧であると妄想するよりもずっと心地よいことです。

<じゃにす感想>

確かに!!!!!!!!!!「あなたはそのままのあなたで完璧よ。」というのは正直、聞き心地がいいし、受け入れやすいし、そう信じたい。私、じゃにすもそんな言葉に乗せられて、本を読んだり、性格診断をした記憶があります。そして、合わないなと思うと、これは私には合わないんだ、次!!!これの繰り返しでした。一時はそれでよくても、続かないのです。

これもまた自己肯定文化、自己愛を追求する文化のループにはまっている事例の一つですね。

聖書ではこう書かれています。

それから、イエスは)弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。マタイ16;24

これは、本当に難しい。自分を捨てるつまり否定するなんて、絶対に難しい。この聖書箇所読んだのに、読み流していた。この自己否定ってもうこの本の根幹にあるような気がします。そう、この世とは真逆のことを言ってますからね。神様はそれを求めている。それができない不完全な私たちだから、イエスが必要なんですね。




そりゃ、この世がいう、「本当の自分を知って、よりよくなろう。」「あなたはあなたのままで完璧」などを信じる方が楽で、優しい。でも、結局あのループにはまって、疲弊していくだけ。



みなさんはどちらがいいですか。


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