目無しの思い出

 今では自分が新宿ルールの店にいるからということもあるが、ほとんどラス確定などのアガリへの批判というのはお店では見られなくなった。

 もちろん他のルールの店や健康麻雀などではまだまだ言う人はいるだろうが、それでも昔に比べれば大分減った印象だ。自分が雀荘に行き始めたころはピンなどのオンレートの雀荘でも

「アガラスは恥ずべき行為」

「麻雀は4人でやるゲームなのだから、着順の変わらないアガリはもっての外」

 という考えが根付いていたと思うし、オーラスにアガラスをしないような人が立派だと思われる風潮があった。

 今回はそんな目無しアガリについての思い出を少しだけ書こうと思う。

 ノーレート大会での思い出。

 昔、ノーレートの大会に参加したことがあった。その大会は4回戦でのトータルポイントを競う大会だった。

 4回戦、自分は優勝には程遠いポジションだったが、最後は一つでも上の着順を狙うつもりで打つつもりだった。そのときの面子はおっちゃん、女流プロ、若手のお兄さん。この中でどうやら若手のお兄さんだけが優勝できるポイント状況だったようだ。

 そしてオーラス、若手のお兄さんは2着目で、自分は3着目だった。そして早い巡目にラス目のおっちゃんからリーチが入る。

 自分は満貫手を副露していてリーチに押していた。そして中盤、若手のお兄さんがリーチ者の現物を切り、自分に放銃し3着に落ちた。

 するとリーチをかけていたおっちゃんは

おっちゃん「いやー、実は君(自分)からアガリ牌が出たんだけど、見逃したんだよね。君は仕掛けてたし、上の戦いを邪魔して迷惑をかけちゃいけないと思ってツモ専にしててさ」

 という。

 麻雀というゲーム自体、プレイヤーとしてどんな打牌をするのも自由だと思う。が、自分としてはおっちゃんの行為には違和感は覚える。
 
 アガることは迷惑で、意図的に見逃すことは迷惑ではないという考えは果たして正しいのか?

 誰かに気をつかわれてそれで着順が上に上がってもそれは嬉しいのか?
 
 そんな疑問があるし、実際自分がリーチをする側だったら見逃しすることはしない。そしてリーチに放銃してそれで優勝を逃したとしても、その人を責めることもしないだろう。

 ただ、そのときそのおっちゃんの言葉に意見も反論もしなかった。それは先も言った通り自由な行為なのだ。

 麻雀は色々な価値観の人がいて、それを全て受け入れて行うゲーム。だからこそ自分と違う価値観に出会うこともある。

 目無しアガリなんて許せないという考えも、してもいいという考えもどちらもプレイヤーとしての価値観なので、相手を批判せずに考えることが一番大事だとは思っている。

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